日本にとっての小川村の価値を持ちたい 〜蔵ブを作る理由③〜

小川村には測れない魅力があるということを書きました。

蔵ブという取り組みで、まずは来てもらおうということを目指しはするのですが、これだけでなんとかなるとも思っていません。なぜなら、今までも先人たちがあの手この手で小川村に来てもらうための手を尽くしてきているはずだからです。色々な人の色々なアイデアでも人を呼び込めていないということは、今回の取り組みも大して功を奏さないということも十分ありえます。
考えてみれば、首都圏から最寄り駅まで2時間、最寄り駅から1時間弱。3時間は結構なハードルです。それを超えてもらうには、どうしても行きたい、という理由を持たなければ普通は来ません。おやきを食べに3時間掛けて来る人は滅多にいないし、DIYをするだけだったら、もう少し近場でなんとかなると思います。

話は大きく変わりますが、私は、個人的には地方創生は必ずしも正しくないのではないかと思っています。
日本政府の目標が、国力の最大化だとすると(違ったらすみません)、人が密度高く居て、それにより優秀な人が多く集まり、あらゆる分野で高い成果を出せる可能性の高い都市部から人やお金を流出させることは、目指す所に対して逆行する行為だと思います。(国民の幸福の最大化だけを目指しているならそれは正しい動きかもしれないけど)
地方創生を正当化するには、流出した人やお金が、もとの場所以上の価値を発揮しなければいけないはずです。たとえば以下のような。
・都市部ではできなかった教育ができる(https://hachioji.keizai.biz/headline/2153/ まあこれも都市部だけど)
・採れなかったものが採れる(https://www.town.tsubetsu.hokkaido.jp)
・作れなかったものが作れる(https://tou.direct/aboutus/clay-in-the-shigaraki/)
・見れなかったものが見れる(http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/)

国のためになるような強烈な魅力を発揮できた所が、結果として必要とされ、距離のハードルを超えて人が集まるのではないかと思っています。
それでは小川村はと考えると、たぶん今は無いです。それを、蔵ブの延長線の上に見出したいなと思ってます。
例えば「出なかったアイデアが出る」とか。罪悪感なく子どもを預けて自然の中で遊ばせて、今日のご飯の献立を気にすることなく、周囲の雑音やメールの着信から離れて、自分の目の前の課題に全力でDEEP WORKできる場所、アイデアの収束と発散ができる環境が、土蔵と小川の空気にはあると考えています。
というようなことも考え中です。

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