【雑記】「流されない人」~私的・明石家さんま論
「明石家さんま」-日本国民の殆どがその存在を認識している不世出のテレビスターだ。実際昨年放送されたTBS系「水曜日のダウンタウン」内の企画「古今東西 日本人知名度ランキング」では第4位(94.3%)にランクインしている。私が物心ついた時からさんま(以下、人物敬称略)は自らの冠番組において司会者として大勢の出演者相手に張り芸(声を張って笑いをとる芸)をしていた。そして今でも火曜日の20時に家に居れば、自然とテレビのチャンネルを「踊る!さんま御殿」に合わせている。
今回「明石家さんまは何故テレビでトップに居続けられているのか?」について考えてみたいのだが、まず大前提としてテレビに露出し続けるということは相当難しい事だ。さんまは1974年にデビューしてからわずかの間に関西圏で人気者になり、1980年に本格的に東京に進出してからというものの40年以上に渡ってテレビの第一線で活躍している。それだけでも当然凄いが、更に驚くべきなのはブレイクしてから芸風を殆ど変えていないことだろう。お笑いBIG3の盟友であるビートたけしは次第に文化人的なスタンスに移行していったし、タモリもいわゆる「密室芸」を披露する機会が減ってからは「笑っていいとも!」に代表されるような老若男女に受け入れられる司会者としての印象が強くなっていった。
ではさんまが芸風を変える事無くこれだけ長きにわたってテレビのトップに君臨し続けている秘密とは何か。それは徹底して「流されない人」だからではないかというのが私の見立てである。こう考えるきっかけになったのは、さる1月27日に放送されたフジテレビ系「さんまのお笑い向上委員会」を見たことだ。その回はメインのゲスト(いわゆる‘‘向上ゲスト‘‘)がマジカルラブリーで雛壇に今田耕司、おいでやすこが等が居たことから自然と話題は昨年のМー1グランプリに及んだ。皆が熱くМー1への想いを語っていたのが一段落すると、さんまが苦笑いを浮かべながらこう発言したのだ。
「でもただのテレビ番組やろ」
思えば昨年のM-1決勝戦終了後、出場者はじめ、それこそありとあらゆる芸人がМー1についての感想を披露してきた。そしてその内容は芸人のユーチューブ進出がすっかり定着したことと無縁ではないが、概して裏側の「葛藤」「感動」「熱気」を真剣に語るというものである。さんまの一言はそうした風潮への強烈なアンチテーゼであり、お笑いの賞レース(というよりそこに生じる‘‘真剣な‘‘雰囲気)に否定的なこの人がぶれていない事を改めて実感させられた。さんまにとってはМー1そのものより、オープニングで中川家・礼二が鬼滅の刃ボケで滑ったり、おいでやすこがが2本目に同じ設定のネタを披露してややウケだったことのほうが「おいしい」のである。
さんまの「お笑い至上主義」ぶりは同期である島田紳助と比較すると分かりやすい。落語家と漫才師という出発の違いこそあれ、さんまも紳助もブレイクした後は多人数相手のレギュラー番組МCがメインの仕事となったことなど共通点が多くある。しかし紳助がさんまと大きく異なるのはしばしば「感動」や「真剣さ」を前面に押し出したことだろう。紳助のそのような例は一般人の再会番組「嗚呼!バラ色の珍生」でしばしば涙を見せたその司会振りや「クイズ!ヘキサゴンⅡ」における通称ヘキサゴンファミリーへの接し方など枚挙にいとまがない。それに対しさんまは「笑っていいとも!」において曜日対抗対決で真剣に取り組んで欲しいというスタッフに対し、あくまで面白さを追求すべきと主張してレギュラーを降板する等、あくまで「お笑い」を追求するという姿勢を貫いてきた。
さんまは私たち視聴者に一貫して変わらない偶像を提供し続けることで、ナインティナイン・岡村隆史が言うところの「お笑い怪獣」として日本のテレビ界に君臨してきた。では65歳を迎えたさんまは今後どのような老境を迎えるのか。すっかり忘れてしまったが、そもそもさんまは60歳で引退しようとしていた。それが爆笑問題・太田光らの説得もあって本人曰く「死後硬直」のような状態でテレビに出続けている。さんまが己の「引退」を意識しているのは間違いなく、60歳を過ぎてから過去に確執があった放送局でも仕事をするようになった(NHK「明石家紅白」やニッポン放送「明石家さんま オールニッポン お願い!リクエスト」など)。過去を清算し、いわば「終活」の時期に入ったともいえるが、もしかするとそれほど多くは残されていないのかもしれない間、この日本史上最も偉大なテレビスターの話術を楽しみたいと今は思っている。