読書日記 「共感革命 社交する人類の進化と未来」とボルダリング

朝起きて、ボルダリングをしようと思った。
人生で初めて、ボルダリングシューズを吐いて、プラスチックの岩を模したものを握りしめてみた。

ボルダリング場ってボーリング場みたいに言っていいのかな?
ボルダリング場にはたくさんの登るためのパーツがあり、その横にシールで番号や記号が書いてある。
同じ番号のものだけを掴んでゴールを目指すのだけど、壁に張り付く前に番号を探すのが一苦労だった。
全員同じようなパーツを握っているけれど目指しているゴールは全く違う。当然集中してみているものも違う。不思議な印象だった。

垂直な壁と傾斜がついた壁の下から3番目くらいのレベルのものをクリアして、初のボルダリングはフィニッシュ。

周りでやってる方の手や足の使い方が全然違って、真似して同じように片足を脱力してみたら、変に力が入ったのか、支えていた足のふくらはぎがぴきーんってなった。

脱力難しい。柔らかーく動きたい。

アパレルを冷やかした後喫茶店で、ゴリラの社会に入っていき、ゴリラとと共に生活する山極壽一先生の「共感革命 社交する人類の進化と未来」をよむ。

ゴリラについての話題を離れて、人類は共感力によって進化してきたという説を述べる本書。性悪説、人による争いなどは人間の本性ではないと述べる。

本書で引かれていた「シートンはおおむね英雄をえがいて、動物の社会をえがきだしていない」という今西先生の言葉を読んで、近年の歴史もののフィクションの書かれ方の変遷を思い出した。
英雄が描かれる物語は減り、社会が描かれるようになっている。
この傾向の次は、社会の中でも人以外の要素で構成されるようになるのだろう。

映画「ラストマイル」。川上から川下までの流れの中で、場においてもっとも物資が多い川上の人間は孤独で、もっとも生産能力の低い川下は人と共感に溢れていた。

言葉によって、人類は分断され、人類全体としての共感が失われていると、山極先生はいう。

単なる道具が芸術や文化へ発展し、集団の共有する価値観や使命に対する意識が強まる。その意識が行動を組織化して、社会的役割を構造化したのだろう。言葉は集団の構造や組織を規定し共有する機能を果たした。小規模な社会とその文化をつないで社会の規模を徐々に拡大し、複雑化していった。

共感革命 社交する人類の進化と未来

英語、フランス語にような言語もそうだが、日本語内における職種におけるの共通言語の違いも出ている。異なる視点を持って行動している他者に対して、恐れないようにしないといけない。

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