読書日記 八月の御所グランドと未体験の感情を埋める想像

人生で初めてお悔やみの贈り物を選んだ。去られた方とは面識がないが、お世話になっている方の親族である。
本人の心痛を労る気持ちで品を選んだ。

近しい人の死の記憶がほとんどないため、心痛の想像は映画や本の受け売りのようで、鮮明すぎて嘘のように感じる。

経験の中にない感情は、観光名所の写真だけ知っている国のように動きがない。感情は瞬間で切り取るものではなく、波のような動きをするのに、言葉でだけで心痛をとらえてしまっている。

外は急な豪雨が降っている。ざっと降る雨は打ち水となり、束の間の涼をはこんでくれる。カンカン照りよりも雨が時たま降る日の方が過ごしやすく感じている。
この気持ちも今年体験してみて初めてわかった。

雨宿りがてら入ったカフェは、同じく雨宿りの外国人とリモートワークの人が半々の不思議な場だった。誰かの職場にお邪魔したのかなと思ってしまうほど、皆何かをやっている。

入店した時に、すでにいた人の机を遠目で見て、なんとなく彼より少し多く頼み、彼が出るまではゆっくりさせてもらおうと決めた。

万城目学さんの「八月の御所グランド」をこんな日に開いてよかった。京都を舞台にやさしさが重なり合っていた。

表題作の「八月の御所グランド」では、好きなことを続けることで生まれる様々な出来事を描かれていた。好きなことを続けていると、不思議な出会いが起き、何かの縁が繋がっていくと私は思っている。
本書の縁は突拍子もないけれど、起こりうる縁ではないかなと思った。

ふいの雑談の面白さも万城目さんの作品の楽しみどころだと注目している。
「そらそうよ、新京極よ。京極が新しくなっちゃってるんだから、もう無敵よ」

何、この面白さ。次、新京極のアーケード看板見たら絶対に笑う。


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