読書日記 鹿男あをによしと日本と動物

昨晩見た映画「ラストマイル」はとてもよかった。宮部みゆき著が「火車」がカードローンの恐ろしい実態を社会に伝えたんだという批評を読んだことがあるが、現代の社会構造について、ひりつく伝え方をしているエンタメだった。

エンタメだったことがすごかった。ドキュメンタリーでもなく、問題を提示して終わりではなく、エンターテイメント映画でかつ社会に問いかけていた。

取材も丹念に行ったんだろう。すべてがつながっており、最後まで繋がらないと意味がない。今何が社会でどう繋がるようになっているのか。
ワンマイルも逃さずに、スタートからゴールまでを描いていた。

昨晩の興奮冷めやらぬまま、今日はワーナー ブラザース スタジオツアー東京に足を運んできた。たっぷり5時間ほど滞在して丁寧に見てしまった。

ハリーポッター賢者の石から読み返さないといけない。
行き帰りの道中で、万城目学さんの「鹿男あをによし」を読む。

イギリスが産んだハリーポッターは人間も魔法を使える話だが、本書は超常的な力を使えるのは、鹿と狐と鼠だ。日本を舞台にした物語は、超常的な動物と手を組んで何かをなす形が多い気がする。

鹿がいう言葉にハッとした。

「人間という生き物は文字にして残さないと、何もかも忘れてしまう。本当に大事なことは、文字にしてはいけない。言葉とは魂だからだ。だが、そのことを人間はすっかり忘れてしまったらしい」

達意の名文は当初の意味を離れて流用され、異なる力を持ってしまう。文は魂から変節する。世界各地の選挙を見ていて痛感する。


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