読書日記 「同じ時のなかで」と向いている方向


子供の習い事をどうすべきかという相談を受ける。
親はその習い事は自分の子供が向いていると思っているが、子供自身は後ろ向きでやめたがっている。

「向いている」という文字を頭に思い浮かべていると、「向いてる」は、書いて字の如くだと思うようになった。
思考、趣向、目線、体が、その方向に向いて動けているものは、文字通り「向いている」ことだ。

「向いている」は天性の才能を指すような使われ方をする。
わたしもそう自然と捉えていた。

子供の頃、「向いてないね」「向いてるね」と言われると、才能を評価されていて、向いてないならやめないと感じていた。

「向いている」には、対象に迎えているという姿勢の話と、才能の話があると思う。
一般的には、才能について使われているが、姿勢を示す言葉としてこの言葉は生まれたんだと思う。
思考、目線が特に対象に向いている人は、そのことができるように必ずなる。

努力する才能って言葉はよく聞くが、しっかり対象に向き合っていることと同義だろう。

「向けてないぞーーー」「もっと向き合ったらいいぞーー」って言ってもらえたら諦めなかったこともおおかったなぁ。

人に振り回された反省から自分と世界に向き合っている。

自分の感情と意見と向き合う本。
スーザン・ソンダク著の「同じ時のなかで」を手に取る。

読んでいるともしできるなら、強い口調で問いただしたくなる。否を唱えたくなる意見も多い。
意見が明瞭であり、どんな考えに立脚しているかわかりやすいため、考え方の差異が滲む。

論点が湧き出る読書は緊張する。

本を読むということは擬似的な対話だと思う。著者と長い付き合いがあっても本書にある内容について、丁寧に語らったことのある友人はどのくらいいるのだろう。

著者は読者に対しての方が踏み込んで語っているのではと思う時がおおい。

美が権威と繋がっていた時代から美と権威が離れて行ったという考察を読み、美と権威の紐帯の国家差、集団差を考えた。

向いている方向が異なると視界に入っていないものが生まれることは致し方ない。

向きを変えた時に見えたものに対して何を語るだろうかと考える。

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