コロナ禍とアーティスト 第4回

第4回 村田望さん(ジャズ・ピアニスト)

「高校2年の時、ジャズを演奏する魅力を知りました」

宇都宮市内で、村田望さんが演奏したことのないジャズ・スポットは、ほとんど無いのではないか。それくらいの人気プレイヤーであり、さまざまなバンドのメンバーとしても活躍している。「私、演奏スタイルはころころ変わるんです」と笑う村田さんだが、芯がしっかりありつつも、リリカルな響きを奏でるピアノの音は、いつも聴衆の心を掴む。

——ジャズに目覚めたのは、何歳ごろですか?
「高校2年生でした。聴く方は親の影響で以前から聴いていたし、ピアノも習っていたんですが、演奏を始めたのは高校に入ってからです。2年生の時に新任で入って来た先生が、ジャズ・ドラムを叩ける方で。ちょうど私もジャズの良さがわかり始めた時期だったので、その先生と盛り上がって『じゃあ、先生一緒にやろうよ!』と(笑)。ピアノとドラムのデュオを組んで、文化祭とか謝恩会で演奏をしました。それが、ジャズの初ステージでした」
——楽しそうだなあ(笑)。どんな曲を演奏したんですか。
「チック・コリアの『スペイン』とか、デイヴ・ブルーベックの『テイク・ファイブ』とか。『イパネマの娘』もやりましたね」
——結構、難しい曲をやったんですね。
「そうなんです、高校生には難しかったですね。先生がジャズのCDをたくさん持っていたので、いろいろ借りて夢中で聴いていました」
——その頃好きだったアーティストは誰ですか?
「その頃にはまっていたのが、バド・パウエル。『クレオパトラの夢(Cleopatra's Dream)』が大好きで、かっこいいなあと。だから、最初はバド・パウエルが憧れのアーティストでした」
——当時はまだ、ジャズスポットには行っていない?
「いや、両親に連れられてあちこち行って、生演奏を楽しんでいました。セッションに参加させてもらった店も、あります」
——でも、音大には進まなかったんですね。
「文学部で歴史哲学を専攻しました。音楽は、ジャズ研に入って活動していましたが、当時は学芸員を目指していました。でも学芸員って、すごい狭き門だったので、その後普通の就活に切り替えていました」
——大学ではジャズ研主体で?
「そうです。『プリンス・マーシー・ジャズ・オーケストラ』といって、ビッグバンドでした。そこに所属しつつ、いろいろなお店のジャムセッションにも参加させていただいていました。ただ、その頃はまだ趣味の範疇です。
 大学4年の時に新宿SOMEDAYというお店のジャムセッションで、ジャズ・ベーシストの河上修さんに出会いました。この方が、私のジャズの師匠です。
 その頃は毎日就活で回っていて、なかなか将来が見えませんでした。というのも、ちょうど就職氷河期だったので——私だけでなく、みんな苦労していました。それでもどうやら最終面接まで行けそうな企業があったので、親に報告したんです。そうしたら『本当にそれでいいの? あなた、向いていないんじゃない?』(笑)。『ピアノを続けてきたんでしょう? そちらの道に進めば?』と、背中を押してくれて、それで覚悟を決めて。河上先生に『弟子入りさせてください』とお願いしたら、先生も『お前だったら絶対音楽で仕事をとれるから、俺についていれば間違いない』と言ってくださいました。そこで初めて、プロのジャズピアニストへの道が開けたんです」
——理解のあるご両親ですね。普通は止められるでしょう。
「よほど苦しそうに見えたんじゃないですか(笑)。『合わないよ』って言われましたもの」
——先生のところに通いながら、プロとしての演奏活動もスタートさせた?
「そうです。私、そこから初めて仕事をいただくまで、早かったんですよ。大学を卒業して宇都宮に戻って——2か月後くらいに、ステージに。親の知り合いのツテで、音楽のプロデュースをやっている方のところでパーティーの演奏をさせてもらったり、レストランのピアノソロをやらせてもらったりというところから、始まりました。
 本格的に宇都宮のジャズミュージシャンの仲間入りをしたのは、ジャズクルージング(※)でした。知人のミュージシャンからジャムセッションに誘われて、参加したんです。そうしたら、たまたまそこにいた他のミュージシャンの方から、仕事の話をいただけるようになりました。最初の頃は、ピアノがイントロ出すとかエンディング出すとか、そういうプロとしての演奏の流れを全く知らなくて、いろんな人にさんざん怒られまくりました。懐かしいですね」

「3月までは普通にライブをやっていました。その後、一気に・・・」

——現在の仕事の柱は何でしょうか。
「演奏と教室ですね。演奏は今お話ししたような経緯でスタートして、ピアノ教室は5年目くらいから始めました。ジャズピアノ教室です。もう一つ、大学卒業後にプロとしてスタートした当初から、学習塾のアルバイトも続けています。これは収入の面だけ考えると、もうやらなくても大丈夫になっているのですが、教える楽しさもあるし、万が一の時に保険がわりにもなると思って、続けていたんです。
 結果としてそれが良かったんです。コロナの影響で、がくんと収入が落ち込みましたから、塾の仕事がなかったら本当に大変でした」
——コロナ以前の仕事の分量についてですが、演奏は月何本くらいあったのでしょう?
「月に平均して、15本から20本くらいありました。演奏場所は宇都宮市が7割、東京都内が3割くらいだと思います。ジャズピアノ教室は、月2回レッスンが15人くらいでした」
——それが、コロナの影響で大きく変化したと思います。いつぐらいから影響が出ましたか?
「割合、遅いんですよ。3月中はほぼ普通にライブをやっていました。一番最後が3月28日、宇都宮フェローズでした。そこから一気に演奏の仕事がなくなりました」
——それは、向こうから断ってきた方が多かったですか?
「いえ、逆に私の方から——体調の関係もあって。実はいま、妊娠しているんです」
——おめでとうございます! そうか、それならコロナじゃなくても回数を減らしますよね。
「中には煙草の煙の関係で、1月から休ませていただいたお店もありました」
——4月以降はライブはやっていないということですね。
「5月に、Gentle山本さんという方から無観客ライブ配信のお誘いをいただき、一度やっています。それだけかな(5月28日時点)」
——ライブ配信の感想は、いかがでしたか?
「楽しかったですよ。配信関係のセッティングは、山本さんが全部やってくださったので、私は演奏に専念できました。
 演奏だけでなく、チャットで感想がすぐ寄せられたり、リクエストをいただいたりできました。普段の、直接お客様を目の前にして演奏する感覚と違って、もっとお客様と絡める機会がありました」

「ミュージシャンもテクノロジーに疎いとは言っていられません」

——レッスンも、今は中止ですか?
「教室に来ていただいて教えるのは、中止しています。オンラインはやっています」
——いつ頃から?
「4月に入ってすぐ、切り替えていきました。
 ただ、オンラインはやはり機材を揃えたり、設定したりしなくてはならないので、難しく感じる方も少なくないですね。オンラインに切り替えたら1/3くらい生徒さんが減りました」
——レッスンって、会話するだけじゃないですからね。
「そうなんです。ウェブカメラを用意する必要もあるし、何のソフトを使ってやりとりするのかも決めなくてはいけないし。現在はSkypeで動画、ヤマハが開発したNETDUETTOというソフトで音声を伝えています。NETDUETTOを使うと、音声の遅延がほとんどないので助かります。映像がずれても、レッスンには基本的には音がしっかり聴ければ大丈夫ですから。あとはコードの押さえ方とか指の形とかをチェックさせてもらえれば、なんとかなります」
——1/3はずいぶん影響が大きいですね。
「そうなんですよ、まあ、中には私が産休に入るからって気を使って『じゃあせっかくだから、私もお休みもらいます』っていう人もいたんですが、それでもねえ、収入のダメージは大きいですね」
——それにしても、ミュージシャンもテクノロジーに詳しくないとダメですね、これからは。
「そういう時代になって来ると思いますよ。『自分はアコースティック専門ですから』とは、言っていられなくなってしまいます。私はたまたま、周りに詳しい人もいたし、学生時代にSkypeを使っていたりしたので、対応できましたけれども」

「今だからこそ、新しいことにどんどん取り組んでいきたい」

——さて、今後とりあえずコロナがひと段落したら、現在の経験が活かせることはありそうですか。
「だいぶありますね。今回オンラインを始めましたが、そのノウハウは貴重だと思います。仕事に復帰した後、今までの生徒さんがまた来ていただいてレッスンするようになると思うんですけれども、オンラインのままがいいという人もいるかも知れませんし、最初からオンライン希望の方もいると思います。
 県外へ転勤された生徒さんとか、どうしても私の家まで来られない生徒さんとかに活用していただけます。だからオンラインと、直接家でやるレッスンが、並行してできる可能性が、すごくでてきました。それにオンラインだったら、全国の方を対象にレッスンができるんですよ!」
——音楽活動についてはどうですか。ライブが2か月くらいできなかったんですが、何か考えたこと、感じたことはありますか。
「ライブの良さは、やっぱり痛感しています。たとえ1人しかお客様がおられなくても、人数の問題ではなく、とにかく聴いていただけるありがたみを、ひしひしと感じます」
——カメラに向かってやるのと、お客様がいてその視線や空気を感じて演奏するのって、違いますか?
「全然違いますね。それによって演奏のスタイルからフレージングから、絶対に変わってきちゃうんですよ。お客様は、ただ聴いてくださっているというだけはないんです。聴くという行為も演奏への参加なんだという感覚を持っています。お客様も、演奏はしないけれども、ミュージシャンなんです。ライブができない今、改めてそういうことを感じています」
——音源を録音したり、ビデオ映像を作ったりする考えは?
「そういうのも視野に入れたいですね。曲を作ったりもしていますし。CDは——出せれば嬉しいけれども、せっかく出すのであれば自主レーベルではなく、ちゃんとしたレーベルで、スタッフもついて録音したものを出したいと思います
——いまコロナで休まざるを得なくて、その後今度は出産子育てに入るわけですから、当面音楽活動から遠ざかってしまいますね。
「でも、その分やることはたくさんあります。
 整理すると『相手に対して取り組んでいること』と『自分に対して取り組んでいること』があります。『相手に対して取り組んでいること』というのは、オンラインの整備だったり、ネット活用したり、これまでに耳コピしている曲をきちんと楽譜化して生徒さんに渡したりという、対人的なことです。『自分に対して取り組んでいること』は基礎練習とか、新しいジャンルへの取り組みとか、耳コピの曲を増やすこととかです。
 いま、バッハの『ゴールドベルク変奏曲』に取り組んでいるんです。弾いてみると、バッハってすごくジャズを感じるんですよ。バッハ以外にも、この機会にいろいろな音楽に取り組んでみたいですね」
——忙しいですね。
「私の師匠の言葉に『ジャズは貧乏に負けない音楽だ』というのがあって、今しみじみとその言葉をかみしめています。ジャズって、誕生してから現代まで、いろんな状況を乗り越えてきた音楽じゃないですか。そしてまさに今また、ジャズにとって大変な時期が、巡り巡ってまたやってきていると思います。でも、そこからまた発展していくのが、ジャズ。私も、新しいことにどんどん取り組んで、新しいジャズを生み出していけたらと思っています」

※ 「宇都宮ジャズクルージング」は宇都宮ジャズ協会加盟のライブハウスで定期的に開催されているイベント。「通常は店舗ごとに500〜1,500円程度かかるミュージックチャージ(ライブを聞くための料金)のフリーパス(前売り1,000円、当日1,200円)を発行し、何店舗でもクルーズ(周遊)することができるイベントです。」(宇都宮観光コンベンション協会公式サイトより)

村田望(むらた・のぞみ):
栃木県宇都宮市出身。3歳からピアノをはじめ、高校2年でジャズに目覚める。大学時代には「プリンスマーシージャズオーケストラ」に所属し、ジャズの全国大会である「山野ビッグバンドジャズコンテスト」で3年間ソリストを務めた。2009年にベーシストの河上修氏に師事。2010年に大学を首席卒業し、故郷である宇都宮を拠点に演奏活動を開始。現在は関東・東北を中心に、レギュラーライヴやセッションホスト、イベント出演などの演奏活動を積極的に行っており、年間のライヴ数は180を超える。グループでは、豊田悦見(Tb)グループ、鈴木義正(Tp)率いる「Woody BeLL Music Factory」、バイソン片山(D)グループで活躍。

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