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特殊材ネックに思うこと

 ギター系弦楽器を所有し演奏する者にとって、ネックの安定性‐ここでは温度や湿度への耐性が重要であることに疑いは無い。

 いうまでもなく音程を決めるフレットはネックに打たれており、ネックが反ったりねじれたりすればギターの、音を出す道具としての能力に影響が出るからだ。

 今回は私が楽器屋店員として働いていた頃から流通するようになった特殊な木材をふたつとり上げたい。


 以下ではギターカンパニーやその製品、販売店の名を挙げることになるが、それらを毀損する意図は一切無いことをここに記しておく。同様に製品としてのギターを所有し演奏しているオーナー/プレイヤーを貶める意図も無いことをご理解いただきたく思う。



 楽器店で働き始めた頃だからもう20年ちかく前になるが、島村楽器が自社ブランドのヒストリー(HISTORY)の製品のネックにタイムレスティンバーTimeles Timber、以下TT)を採用した、と教えられた。

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 上の画像はフジゲン社のHPのものだが、同社がヒストリー製品の製造を担当しているのは皆さんもお聞き及びだろう。


 なおタイムレス・ティンバーというのは同名の会社が保有する商標であり、そのTT社からの材の供給が減少したからであろう、後のヒストリーではTTと同じく水没材であるヘリテイジウッド(Heritage wood、以下HW)を使用している。


 スレた大人になり果てた現在と違い、当時の私はこのTTをネックに用いた製品の実物を試すために島村楽器の店舗に足を運ぶだけの好奇心や探求心があった。試奏させてもらったのはPBタイプのベースだったと思う。

 当時すでに仕事で60~70年代のオールドギター/ベースをそこそこの本数弾いていた私はこのPBの、ヴァイタルな反応の無さと平板なタッチに少なからずガッカリしたのを覚えている。

 いま思い返してみるとそのPBタイプはブリッジにバダス(BADASS)・ベースⅡが純正搭載されていた。

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 2000年代初頭の多くのベーシストを誘惑した交換用ブリッジのヒット作バダスだが、その構造と重量もあり、低音の厚みを増強する一方でベース本体の木部の鳴りを感じにくくさせてしまう。

 あの頃の私はまだバダス効果(?)と木部の鳴りを、因数分解のように分離して検証することが出来ていなかったが、それでも、TTのネックが通常のメイプルのネックとは明らかに異なる音響特性を備えていることは聴きとれた。


 TTの特徴はその特殊な育成(?)環境にある。

 詳細は先のフジゲン社のリンク先をご覧いただきたいのだが、100年近い長期に渡って湖のなかに沈んでいたことで木材の不純物をバクテリアが食べつくしており、木の細胞組織のなかの、弦振動の伝達を阻害する要素が減ったことでギターに用いたときの鳴りの良さにつながるという。

 また、当時の木材そのものが良質なうえに水中の長期エイジングが加わり、狂いの少ない安定した材として使用できるのがメリットなのだという。

 その安定性からTTはオールドギターの木材に例えられることが多く、中には50~60年代のフェンダやギブソンの、つまりヴィンテージギターの鳴りに比肩するという賞賛まで寄せられていた。


 しかし、ここではフェンダー系ギター/ベースのメイプルのネックを念頭に、元楽器屋店員としての経験から言わせていただくと、TTの特性はオールドギターの、少なくとも現役を続けてきたギター/ベースのそれとは違う。

 これはもう、実際に弾き比べてみたらたちどころに分かる。べつにプリCBS時代のフェンダーのストラトキャスターを引っ張り出してこなくても、70年代のバーンズ(BURNS)のバイソンや、80年代のフェンダージャパンのST57やST62と比べてみても違いははっきりするはずだ。

 ギター/ベースというのは弦を強く弾けば大きい音が出る、だけの味気ない楽器ではない。鳴らす音域やタッチの強弱、さらには指板上のポジションや弦をピッキングする位置さえも響き‐一般的に総括されるところの「鳴り」に影響する。


 TTのネックでは音域に偏りなくフラットに音が立つが、アタックの強弱への反応が薄い。

 その、高い安定性と剛性の裏返しとしての、表情が乏しく、硬く地味な響きは、私にはどうしてもオールドギターと同一視できるものではない。 


 私がTT及びHWにからいのはもうひとつ理由がある。

 現在の私が仕事で触るギターの中にはヒストリー製品の、TTやHWを用いたギター/ベースがある。

 すでに10年以上弾き続けられたであろう個体も数多く触ったが、どうも、弾きこみによる鳴りの変化に乏しいように感じられるのである。

 ギターは弾くほどに音の硬さがとれ、弦振動への反応がよくなる。中古ギターの売買に長く携わってきた私にとっては疑うことのない真理なのだが、TTやHWはその変化が起きにくいのか、または鳴りが出てくるまで時間がかかるのか、と首を傾げてしまう。



 タイムレスティンバーを知ってから約10年の後、今度はサーモウッドThermowood)なる木材を使用した製品の登場を教えられた。

 これは今でもよく憶えている。サゴ・ニューマテリアルの営業担当氏が新製品だといって、ツヤ消しの茶色に染め上げられたネックを備えたギターを私の店に持参したからだ。

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 サゴ社とはこの数年前から付き合いがあったが、とかく新し物好き、奇抜で野心的な製品をケロッとした顔で製造する会社だった。 

 そのサゴ社が言うには、加熱処理により剛性と安定性を向上させた特殊材だという。

 修理調整担当者としてギター/ベースのネックの、病的な反りやねじれに手を焼いてきた私としては、ネックの安定性を高めるための手法は歓迎すべきものだった。

 しかも、ネックの製造工程で補強材を仕込むのではなく木材そのものに処理を行うという手法というのが斬新であり、ギター系楽器のネックが抱えやすい問題に真っ向から取り組んだことの証に思えたのである。


 それからさらに10年ほど経つうちに、複数のギターカンパニーがサーモウッドのような茶色味を帯びたネックを使用した製品を投入してきた。

 アイバニーズ(IBANEZ)からはエステックS-TECH)処理されたネックが、

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 アーニーボール・ミュージックマンからは「キャラメライズ」加工が

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 製品に導入された。

 キャラメライズ材は他にシャーベルと、限定生産ではあるがポール・リード・スミスのSEシリーズでも用いられたように記憶している。


 現在の仕事ではサーモウッドやエステック、キャラメライズ等の、ここでは加熱処理材と括らせてもらうが、その材を用いたギター/ベースを触ることも増えた。以前であればサゴぐらいしか弾いたことがなかったが、今では先に名を挙げたブランドの製品をひととおり弾くことが出来た。


 その経験をふまえたうえで加熱処理材をネックに用いたギターについていわせていただくと、音質の差はごく僅かなものだ。

 たしかに高音域の反応が良くなりサステインも伸びやかになるが、それも注意して聴いて気づくぐらいの違いであり、弦の鮮度や弦高のセッティング、ギターケーブル等の他の要素であっさりと印象が変わってしまうのは避けられないだろう。

 また、加熱処理材もまたTT同様にアタックの強弱への反応が薄い。弦振動に対してボディはそれなりに共振していることが分かるのにネックにヴァイタルな反応がないのは弾いていて不思議な感触である。


 加熱処理の主な目的は木材の安定性の向上であり、そのために含水率を下げる手をとっている。

 木の細胞組織の中の水分を減らすことで木材の剛性が向上するが、引き換えに細胞組織の柔軟性が失われる。

 加熱処理材に強い力をかけると非処理材よりもあっさりと割れてしまうことは最近になって知られるようになったが、この、剛性と引き換えに失われた柔軟性がギターのネックの、音質に大きく影響するフィルタとしての特性に影を落としているように思える。


 また、加熱処理材の持ち味は安定性‐耐候性である。

 それはすなわち、加熱処理材のネックを備えたギターを長期に渡って所有し演奏し続けることで浮かび上がってくるメリットのはずなのだが、加熱処理材が果たして期待されたどおりの耐候性を備えているかどうかは、2022年の現在ではまだ不明としておいたほうが正確ではなかろうか。

 さすがに先のタイムレスティンバーの熟成期間は極端だとしても、200年近いギター系弦楽器の製造の歴史において加熱処理材はまだ新顔であり、この先の過酷な時の試練に耐えきれるのか、期待しつつ見守るべきだろう。



 タイムレスティンバーと加熱処理材は言うまでもなく両方とも木材であり、カーボングラファイトや金属に比べればギター系弦楽器との親和性が高い‐「向いている」素材であることは確かだ。

 木材の枯渇が予想されるこの先、水没材のサルベージと特殊加熱加工という、ふたつの大きくかけなはれた木材がギター製造に導入されたことは素直にうれしいし、このような資源の有効活用には大いに賛成である。


 だが、それらがギターに用いる材として最上の選択であるかとなると話は別であろう。

 ギターは木工加工品であると同時に音を出す道具であり、しかも長期に渡って用いる耐久財である。さらにいえばそのサウンドもまた価値に有形無形の影響を与えるところが面白く、また難しいところだ。

 

 今回採り上げた2種の特殊材を用いたギター/ベースの入手を検討しているのであれば、この先どのくらい弾き続けるつもりなのか、長期に渡って演奏し続けるだけの充実したスペックで固められているかをいま一度見直したほうがいいだろう。


 また、交換用ネックを入手してボディと組み上げる、いわゆるコンポーネントについては慎重を期したほうがいい。

 ギターのサウンドにおけるネックの比率を理解したうえで、現在のネックから他に交換した際の変化を予想できるかがカギになるのだが、これはギタークラフトの知見が多少なりとも必要である。ネックじたいもそれほど安価ではないし、第三者の監修を受ける意味でも信頼できる修理業者に相談することをお勧めしたい。

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