感情、人生に必要なものについて

特に誰も見ない場所に意味不明な感想を

羨望

自分と人間性が全く異なる人間を羨ましく思う。どれだけ羨ましくても自分はそうはなれないのだと何となく理解できる。それを成し遂げられるだけの熱量が無い。そもそも今の自分を否定するくせに自分が他者になってしまうことを恐れる気持ちがある。そんな理由で今日も何も変わらず他者を羨む。羨望を熱量に変える方法は存在するのかもしれないが、少なくとも自分にはよく分からない。

憧れ

人は理解できないものを恐れ、崇める。憧れと親しみは非常に離れた感情である。理解できないものに親しむことは難しいし、理解できるものに憧れることは難しい。しかし、憧れも親しみも好意に変換することができる。結果として、理解が失望に繋がらないこともある。

熱量

眩しい才能が人を狂わせる。狂ってしまった人間のことすら羨ましく思う。人が生きていくためには熱量が欠かせない。狂気すらも熱量の1つになりうる。感情的に物事を進められる人間はいつか何かを為すだろう。理論的に物事を進める人間は思考を巡らすだけの熱量を持つのだろう。偽物の熱量すら持てない人にこの先があるのか。それを知るのはこの先の生命のみである。

人が生きていくのは熱量がいる。それはどんな形でも良いが、少なくともその熱量を疑わないだけの精神を持たなければいつか熱量は失われる。

終わりに

支離滅裂であろうと文章を書き殴ることで発散されるストレスがある。そのためにこの文章は在る。偶然目にする人が居たとしたらある種の不幸だと思って欲しい。
この先の自分はもっと前向きで何も考えずとも生きていける人間になっているかもしれない。考えることに疲れた人間が最後に縋れるのはそんな理想だけである。


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