浮遊する時
2020(R2)0421Tue
私の書いた詩は、誰も読んでいない時も詩として存在できるのかな。物質的に見たときは当たり前に、それは紙とかスマホのメモに記入された文字だったり色だったりする。でも詩は物質的な形を楽しむことが主ではないから(具体詩とかは置いといて)、感性とか精神性の強固さが存在に影響するのかな。でも詩って作者の感性だけじゃなくて、読者の感性が混じり合ってその詩の新たな姿として存在できるところあるから、誰も読んでいない(作者の感性・精神性しか内在してない)時は、存在しないまではいかなくてもかなりふわふわした存在になりそう。それをただの物質として扱うのはあまりに乱暴だと思うけれど。私のところにはふわふわした詩がたくさんあるなあ。タンポポみたいに飛ばしても勝手に花は咲かないか。
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