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眩しい夜

2021(R3)0818Wed

夜は私の味方だと思っていた。一人部屋を持たない私でも、夜だけは、枕に顔を押し付けることで泣くことができた。部屋の電気をずっと付けていると、向かいに住む盗人が「つばきちゃん昨日はずっと起きてたのね」と祖母に言った。同じ部屋の弟にも小言がいくから、電気はさっさと消すようにした。電柱すら遠いこの環境は、むしろ好きだった。でも、ここに住む人たちは本当に嫌いだった。会う度に私の成績を褒めてくれる近所のおじさん(どうやって私の成績知ったの?)は、褒めた後必ず、私の同級生である娘さんを貶した。隣のおじいさんが倒れて救急車が来た時、近所中の人が詰めかけて狭い道を埋めていた。おじいさんを殺したいのかな、と思った。ここから出れば、私は真夜中に一人で歩くことができる。誰にも干渉されず、雨で湿った草の匂いを感じることができると、そう思っていた。「待っていてね」と、高校生の私は夜に期待していたのだ。

一人暮らしを始めてすぐ、am0:00頃に外へ出た。その瞬間、空気が睨みつけてくるような恐怖に包まれた。その時思い出されたのは、高校生の頃に抱いた期待などではなく、女性が理不尽な目に遭うニュースと、遠くの不審者情報だった。数刻前まで流れていたシティーポップは乱暴に切られ、大学生の甲高い笑い声だけが響いた。急ぎ足で部屋の中へ入った後、情けなくて涙が出た。どうして勝手に期待なんてしたのか、理想はいつでも打ち破られるというのに。あんなに心寄せた夜が、怖くて怖くて仕方がない。畜生、畜生と、度胸の無さを恥じた。けれど、今になって思う。そんなもの当然だと。きっと一人で夜を歩いていれば、いつか死にたくなる日が来てしまうと思う。それは、第三者によってもたらされる不幸だ。どうして、夜を一人で散歩することすらままならないのか。私はただ、責任を伴う自由を謳歌したいだけだ。その責任に、「第三者に不当に傷つけられるのを受け入れる」ことは当然含まれていない。

そういえば最近、死にたいと思うことがかなり少なくなった。自分のことを好きになったというわけでは決してない。「自分のせいだ」と自覚することそれ自体は、責任を負うことにはならないと、分かっていたはずのことを受け入れる踏ん切りがついたからだ。シンエヴァを観たからです、えへ。今、狭いあの場所へと帰ってきています。夜は、広くて遠いまま。

#日記 #ミスiD2022

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