窓を開けても誰もいないはずがない

2024.02.16Fri

今日エントリーシートを出した会社から面接をする旨の電話が来た。
当たり前のように生きている。丁度先月は卒論の提出締切日だった。出せないし、もうやめてしまおうか。と思っていた。今は実家にいるので大学近くのホテルに数日間泊まった。そこを事故物件にしてしまうこと、清掃員の人に恐らくトラウマを与えてしまうことを申し訳なく思いながら、それでも勝手にするつもりだった。

こえーーー😭😭
ずっとこれ。この気持ち。嫌すぎ!!苦しいのも痛いのも寒いのも熱いのも嫌!!まじで嫌でムカついて、ホテルの温泉に浸かりながら泣いた。愛おしいと思った瞬間がたやすく脳裏に浮かぶ。家族の顔とかも浮かんでくる。今思えば前倒しで走馬灯を見せて必死に留まろうとしていたのかもしれない。知らない。色んな死にたいの積み重ねではあるけれど、一番背中に体当たりしてくるのが「卒論出せない」という理由なのがまじでムカついた。情けなさすぎ。一通り泣いた後、ホテルの部屋に戻って卒論を本格的に書き始めた。痛いのが嫌すぎたからだった。そして、出した。信じなくてもいいけれど、約3日間で全章書き上げた。
(自分が一番嘘だろと思っている。嘘すぎ。バカ。なんでだよ。もっと早く書いててくれよ。火事場の大馬鹿力かよ。なんでそんなことができるようになってんの?ちまちま書いてたとはいえ本当にちまちまだったよね?どの章も完成してなかったよね?すごいよ。すごいけどバカ。反省しろ!!)
締切当日の朝4時に書き上げて、近くのコンビニでカラーコピーした。2部必要だったので4千円もした。今思えば図版のところだけカラーにすれば良かったじゃん。
なんだこの人生は。あくまで事故のフリで死ぬつもりだったから卒論激ヤバなことは誰にも言ってなくて、一人で大変なことになっていた。
提出受付時間に速攻で出して、バスに乗ってちょっと散歩して、生理になったのですぐホテルに帰って、寝た。この時が一番気持ち良かった。

それで、結局出した後も人生は続くんだった。不思議。思えば一昨年に失敗してから、ずっと、あるべきではない時間を過ごしているような感覚がある。私の人生は正しくあの時あの場所で綺麗に終わるはずだった。今は余白を生きている。ソフトクリームは美味しい。恋人は優しい。猫は可愛い。私は幸福。痛いのは怖い。怖いのは嫌。それを何度も思い知って、私はいやいやながらずっと生きていくんだろうなと感じている。それでも、タイミングが来たなら私はそれを迎えたい。ハグしたい。私は多分生きていくし、死ぬことの魅力からもずっと逃れられない。

世界は最悪になっていくし、本当に多くの人がそれを無視している。先日、ラファへの攻撃が行われてたくさんの人が死んだ。8月に平和を訴えていた国は軍拡費用や万博に大量のお金を注いで能登を見放した。YouTuberやインスタグラマーはスタバやマックの話をしている。今、人が殺されている。小さな子供の手足が切断されている。みんな笑っている。知らなければ良いと思っている。そんなことを言う私も家族にガザの話題を持ち出すことを躊躇っている。恥知らずな臆病者。私も虐殺に加担している。この虐殺に国をあげてNOを言えないままなら、絶対この先この国でも戦争が起きる。人も動物もみんな死ぬ。馬鹿。私が繊細なんじゃない、優しいわけでもない。無視できることが愚かなだけ。私はそっち側にいたくないだけ。LOVE&PEACEを掲げるだけの空虚で軽薄な人達を軽蔑するけれど、お願いだから今すぐ連帯して、とも思っている。今、知ってほしい。一緒に止めてほしい。無力とか言う前に一緒に行動したい。沈黙は中立ではない。

この間友達と会ったら、「献血したら生きる気力湧いてきた」と言っていた。献血いいよね、と言った。署名とか、官庁への意見メールFAXとか、デモ参加とか、身近で話題に出すとか、やれることはいくらでもある。全部やってやる。私は生きていたくはないけれど、苦しみはしんどいし、人が苦しみの中で死んでいくことも嫌だから。

私たちはともにあるのではなかったのか。


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