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恋愛が当たり前の世界で

恋愛がある世界に疲れた。
恋愛に疲れたんじゃなく、
恋愛が当たり前な世の中で生きていくことに。


女の子同士で盛り上がる話題も、
望んでいない出会いを勧められるのも、
彼氏の有無を確認されるのも、
結婚願望がないことに驚かれるのも、
男女2人が遊ぶだけで付き合ってるのかと疑われることも。

ぜんぶ、ぜんぶ疲れた。

人が人を好きになることが前提で、
誰かに好意を抱くことが当たり前な世界で、
自分の生きづらさだけが更新されていく。

他人に興味がある人が多すぎて、
そこまで気になる理由がわからない。

「最近何かあった?誰かいい人いる?」
「そういえば彼氏できた?」
「何歳までに結婚したい?」

こんなテンプレみたいな質問が苦痛だ。
経験の少なさとボキャブラリーが比例することよりも、無意識に当たり前を押し付けられる空間がしんどい。
ああ、またこれか。
みんな本当にこの手の話が好きだなあ。

「恋愛あんま興味なくて」と答えると、
「そっか〜。絶対これから出会うよ!」というフォローにも似た言葉。
何で出会うことが前提なんだろう。
ここでも「今は」興味が無いと勝手に自動変換される。

「う~ん、、でも○○ってずっとそんな感じやん?」
「もしかして女の子が好きとか?」
過去にこんなことも言われた。
恋愛していない事実がそんなに不思議なんだろうか。

もう慣れたから適当に答えているけど、本音はこうだ。
頼むからそっとしておいてくれ。。。
理解も共感も求めていないのに、簡単に踏み込まれる。
理不尽な意見を押し付けられたことだって。
私の人生なのに。


今まで人を好きになったことはある。
片想いの辛さも経験している。
でも、付き合うという意味は未だによくわからない。

恋人という関係になって、許されたり触れられたり特別な存在であることが重荷にならないんだろうか。相手の生活が自分の一部になることに疲れてしまわないんだろうか。深く考えすぎだと思われるかもしれないが、そこへの違和感が昔からあった気がする。

ざっくり言えば、両想いを望んでいない私にとって、ゲーム中に発生する恋人らしいイベントは課金制でいいのだ。参加したい人だけでいい。それでストーリーが進まないのは本望ですらある。

友達の話を聞くので精一杯(しんどい時もあるけど)、それが実際に起こったり当事者になることがどうも苦手で受付けられない。普段想像すらしていないので、どうしていいのかわからなくなる。
フィクションだと思っていたものが実は現実でした、とネタバレされたような感じ。

相手から好意を頂いた時点で温度差が発生してしまうし、そもそも彼氏、彼女、この枠組みに当て嵌められることもあまり好きじゃない。というか、はっきり言って苦手だ。これに耐えられなくなって自分から別れを告げたこともある。

関係に名前を付けなくてもいいじゃないか。曖昧なほうが安心するし、期待されることもない。恋愛が私生活に入ってくると崩れてしまうのだ。自分一人だった生活が二人へと変化する。そんな器用なことは出来ないし考えただけでも面倒だ。たぶん根っから一人の時間が無いと生きていけない。こんなんで大丈夫か?とはたまに思うけど。

最近わかったことがある。少しでも恋愛の雰囲気を感じ取った時に、脳の思考がそれをストレスだと感じるようになった。
何言ってんだ?と思った人、私にもわからんのです。ただの自惚れかもしれない。でも何となく、これはこういう雰囲気だと勘で分かってしまう時があった。相手に女性として意識されたり扱ってもらった時に、どうしようもない嫌悪感に襲われる。その人だけでなく自分にも。罪悪感と申し訳なさで頭の中がぐちゃぐちゃになる。

もう好きとか嫌いとかの話じゃない。私にとって恋愛は無くても生きていけるものなのだ。でもそれはこの世界では「普通」ではないから、ただ生きているだけで生きにくい。

自分の想いをカミングアウトするべきなのかもよくわからない。周りとズレてるんだなあと薄々気付いてはいたけれど、きっと自分に嘘を付いたまま生きていくほうがしんどいんだろうなと思う。ただ、こういう考えの人もいるんだとそっとしておいてほしい。それだけである。


先日、異性の友達とご飯を食べに行った。
お互い仲の良い友達として認識しているし、久々でも変に気を遣わず会話出来たことが嬉しかった。この関係でいられることにすごく安心した。

居心地の良さが優位に来る私からすれば、正直性別はあまり関係ない。それが女性であれ男性であれ、気を遣わずに話ができたらそれでいい。
どこまで行っても平行線で、決して交わることがない関係。私自身がたぶんそれを望んでいるし、そんな人に安心できるんだと思う。


最後に、もしもこの先相手を望むことがあるとするなら、恋愛の色々を抜きにして、ただそっと側に居てくれる人がいい。大丈夫だよって。
もしくは心の奥に同じような痛みや傷を抱えた人。

こんな自分を認めてくれて、抱えている弱音を1ミリでも吐き出すことができたら、そうしてその人の痛みにもより添えたなら、それで十分だ。


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