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ご主人さまのピーナッツ

お盆をずいぶんと過ぎたこの季節でも、強い日差しが照りつけてアスファルトを焦がしている。
高井戸出口付近のいつもの渋滞で、のろのろとした速度でしか進まない中央道をやっとの思いで降りると、府中市郊外にある寺に向かう。

宗教法人というのは、よほど儲かるのか、やたらに広い駐車場のかろうじて木陰になっている位置に車を停める。
墓地の入り口に並べてあった、使い古しの桶と柄杓を一つずつとり、外蛇口で水を入れて中に進む。
何度来ても墓の位置がうろおぼえな事に、多少の罪悪感を覚えながら、自分の名字を探しつつ進んでいく。

やっと見覚えのある墓を見つけ、横をのぞきこんで、墓石に刻まれた祖父と祖母の名前を確認する。

墓を清め、線香に火を付ける。

見上げれば、青い空と照りつける太陽に、うだるような暑さ。

ちょうど彼女と出会った頃のように。


当時、人生の退屈に倦んでいた私は、歌舞伎町のSMバーに入り浸っていた。

しばらく店に通い詰め、何人か知り合いもできた。
その日は、夜でもひどい湿気で、みながクーラーの効いてる店から出たくないとボヤくような気温だった。
ちょっと暑苦しさを感じる店内で、詰め込まれるように座ったソファー席の隣に彼女がいた。

正直、私は細身の女が好きなので、ちょっと太めの彼女の体型は好みではないものの、快活で素直、そして話が面白いことに興味が湧いて、出会うたびにしばしば話し込むようになった。

初めてプレイをしたときも、彼女は太り過ぎなのを気にしていた。

聞けば、彼女の親は案の定という感じで、虐待から逃げてきた人生だったらしい。にもかかわらずこの界隈特有の闇を抱えることもなく、快活で気配りに長けていて「万事準備が整っている女」という感じだった。
とはいえ、自分に自信がないせいで、引っ込み思案ではあったものの、本を読むのがなによりも好きな彼女は、空想好きで、なにより独特のセンスのユーモアに溢れていた。

そして、何度かプレイを重ね、懇願され、彼女は私のサブミッシブとなった。
念願かなった彼女は、私の好みの体型になろうと思い立ったらしく、その日から常に努力を怠らなかった。
筋トレや食事制限だけでなく、大嫌いな有酸素運動まで、日課としてがんばっていた。
人生でこんなに真面目に自分の体と向き合ったのは初めてだと言っていた。

彼女は連絡に関してもキッチリとしていて、毎日律儀に同じ時間にLINEを送ってきた。
よくもまあこれだけ思いつくな、という、日常をおもしろおかしく表現する日刊のショートストーリー。いつしか、私は毎日定時に届く彼女の作品の大ファンになっていた。

ただ、辟易するようなブラックジョークを言うことがあり、しばしばたしなめることがあった。それが彼女の持ち味なのかもしれないが、時折、人を不安にさせたり、ギョッとさせるようなことを言うのだ。


ある日、昼食の約束をしたものの、遅れるという連絡があった。
私は空腹でお腹の音がなりはじめたので、買い置きしていた大好物の缶に入ったシュガーローストピーナッツを、ひとすくい持って、ポリポリと食べながら彼女を待つことにした。

くだらない動画を二、三本も見ただろうか。
玄関のベルが鳴り、やっと彼女がやってきた。

「遅くなってもうしわけありません、ご主人さま」

いいんだよ、と声をかけ、いつものように玄関口で口づけをしたが、待たされた腹いせもあって、そのまま玄関に体を押し付け、いささか乱暴に彼女の股の間に脚を差し込んで、両手首を掴む。
そのまま頭の上までひっぱりあげて、貪るように彼女の口腔内を舌で犯す。
突然の無遠慮で強引な愛撫に、彼女は身を固くしたが、すぐに受け入れて私の唇に吸い付いてきた。
何分か口腔内を陵辱しながら太腿を強く彼女の下腹部におしつけてこすりあげる。強引にされるのが大好きな彼女は、すでに下着が使い物にならない状態だろうと妄想した。

しかし、可愛らしい喘ぎ声が急に途絶え、彼女が動きを止めた。まぶたを開いて見ると、彼女は真っ青な顔になっていて、直後に震えだした。
そのまま崩れ落ちるようにして痙攣を繰り返す。なにかうわごとのように言っているが、言葉になっていなかった
私はパニックにおちいりそうになりつつ、119番に電話をかけて、症状を説明した。その間にも彼女は震えが止まらず、ときおり痙攣するように咳き込んでいた。


その日の夕方、搬送先の病院を見舞うと、ベッドの上の彼女はケロっとしてスマホをいじっていた。数時間前にはあれほど深刻そうな症状だったのに、まるでなんともないとは信じられなかった。

「ごめんなさい、ご主人さま。わたし、ピーナッツアレルギーなんです…こんなに強い症状が出たのは初めてで…ご心配おかけしました」

私は、とっさに言葉を紡げず、もごもごと彼女の無事を祝う言葉をなんとか伝えることができた。彼女はその様子にクスクス笑う。

「でもでも、ご主人さまにピーナッツで殺されるなんて、サブ冥利に付きますよね?」

死にかけたにもかかわらず、その体験さえネタにしようとする、彼女の独特のユーモアが飛び出す。

「あ、でも、お墓には一緒に入りたいな。さびしいから。ねえ、ご主人さまも、アレルギーないですか?なんかしにそうなやつ」

と、まったく笑えないジョークを連発しながら、彼女は心底楽しそうにケタケタと笑い声をあげた。
今日ばかりは「後でお仕置きだぞ」とは言えず、ゆっくり養生するように伝えた。

はた迷惑なあのピーナッツ缶は、帰宅してすぐに戸棚の奥に仕舞いこんだ。彼女のために好物ぐらい我慢することはできる。

だが、ゴミ箱に直行させる気分にもなれなかったのだ。


いくつかの季節が過ぎ去り、彼女と出会ってから二度目の桜の季節になったころ、ゆっくりと、だが確実に努力を続けた彼女は、以前とは見違えるような自信に満ち溢れた、グラマーな美人に生まれ変わっていた。

「最近、洋服選びが楽しいんです…ご主人さまの選んでくれた服で、一緒にデートしたいです」
「でも、めっちゃ誘われるようになったんですよね。会社の同僚も、久々に連絡してきた大学時代の友達も。男ってほんとバカだな〜って。私には世界一素敵なご主人さまがいるのに。」

その言葉に優越感を覚えつつ、以前から話をしていた海外旅行の約束をした。痩せたら絶対に着たい、セクシーな水着があるんだと言っていた。

しかし、そのあともダイエットが順調すぎて、少々痩せすぎでは?と苦言を呈するか悩むような体型になりつつあった。だが、楽しみにしている旅行を前に無粋なアドバイスで台無しにするのもどうかと思い、太るのは簡単だろう、と思ってそのままにしておいた。

旅行を来週に控えた日、彼女はグラビアモデルもかくや、という容姿になっていた。太っていたときの胸のサイズのままで痩せたために、くびれたウエストの上には迫力のバスト。彼女は自信に満ち溢れているのに、私のおかげでこの体になれた、と何度も感謝を口にする。

そして「どうかわたしの躰を愉しんでほしい」と懇願した。

自分の女が、自分のためにここまでしてくれる、という事実に、私はドミナントであるということを忘れ、その日はひたすら彼女の体を貪った。

彼女の躰はそれに答えるかのように、肌を紅潮させ、びっしょりを汗をかきながら、抽送のたびに、すごい、すごいと、うわ言のように喘いでいた。

まるで生命をその日で燃やし尽くすような、純粋な、激しい性行為。

私達は朝まで、お互いの快楽に、お互いの肉体に、溺れ、没頭した。

翌朝、足腰が立たなくなっていた私をおいて、彼女は帰り支度をはじめた。
どうしても行かなければいけない、大事な約束があると昨日言っていた。

普段はどこに行くのか伝えてくるのに、その日だけは頑としてゆずらなかった。おどしたり、なだめすかそうとしてみたが、彼女の意思は固く、私は多少の不安を覚えつつも、快く送り出すことにした。

彼女は少しクマのできた顔で、私のだらしない姿を見てクスクスと笑いながらも、いつもの快活さで

「いってきます、ご主人さま」

と言って、笑顔で出ていった。

その日、彼女がサブミッシブになって以来、はじめて定時のLINEが来なかった。


あれ以来、メッセージはただの1文字も届かなくなった。
電話も通じなかった。

どこかで事故にあってるんじゃないか?
誰かに騙されているんじゃないか?

私は狂おしい感情とともに数日をすごした。彼女を探して、いつも送り迎えをする駅の周囲をさまよったこともあった。コンビニの店員に顔写真を見せて、「この子を知りませんか?」と探偵まがいのことまでやってのけた。

だが、さらに数週間がたち、ふと現実を考えてみた。

彼女は、私とは不釣り合いなほどに若い。おまけに連れて歩けばだれもが羨むような容姿に生まれ変わった。
そして、かつての引っ込み思案な彼女とは違い、自信に満ち溢れていた。

しょっちゅうナンパされるようになったと言っていたし、会社でも良く食事に誘われるようになったと言っていた。
だが、それらはすべて断って、私と少しでも長く過ごすために、すべての時間を差し出していたのだ。

だが…いつまでも壮年の人間と、未来のない、世間にはとても言えない関係にあるのはどうみても不健全だろう…彼女はきっと普通の幸せを見出したに違いない。

すくなくとも、彼女の理想とする姿になれたのは自分のおかげだった。
そう言い聞かせた。

そして、ようやく現実を受け入れ、彼女に捨てられたという事実に目を向け始めれるようになっていった。


お盆が過ぎた夏の終わり、彼女と出会ってニ年が経ったのかと、漠然と思い出す。

私のために全ての時間を捧げ、私のために美しくなった、私のサブミッシブ。
あの日から三ヶ月がすぎても、喪失感は少しも失われることがなく、私の日常とは、彼女がいない事を思い出す日々を指していた。

しかし、未練がましくブロックすることもできずにいた彼女のアカウントから、その日、メッセージが届いた。

「あいたいです」

いつも快活でおしゃべり好きな彼女からのメッセージとは思えない、たった一言だけのメッセージ。
次のLINEで、住所と部屋番号が送られてきた。

指定された場所は、築地にある専門病院だった。


指定された病室の扉をあけると、最も見たくない光景が広がっていた。
三ヶ月ぶりに見た彼女は、無残としか言いようがなかった。
健康的だった肌は青白く、カサカサになり、その体はやせ細り、もはや自力で立つことができるのか疑問だった。ぺたんとした頭部にはネットが被せられ、毛髪がすでに失われているのは想像に難くなかった。

異常な速さの点滴をみて、祖父が死ぬ前に見舞った光景と同じであることに気がついた。
浅く、早い呼吸は、彼女の体は、もはや、苦痛以外の何も感じることができないほど蝕まれているのがわかった。
祖父が死ぬ間際の数週間、ずっと譫言のように「痛い、痛い」と言っていたのを思い出した。

私はベッドの横の椅子に腰掛けた。
天井を見上げる彼女の目は焦点があっておらず、意識があるのか、寝ているのかわからなかった。

その目がなにかに気がついたように少しだけ動く。

「ご主人さま、モルヒネって打ったことあります?こないだ、初めてクスリに手を出しちゃいました。ふわふわしてすごく気持ちよかった」

多少弱々しくとも、その声だけは、あの快活だった彼女と全く同じだった。
まったく違う生き物が、同じ声でしゃべっている。そうであってほしいという残酷な願いが去来する。

「でね、致死量のモルヒネでも、末期の患者なら、じゃぶじゃぶ使っても全然へっちゃらなんですよ…でも、あっというまに効かなくなっちゃいました。せっかくヤバい薬を始めたのに、ほんとつまんない」

不気味さを飲み込んで、彼女の腕におずおずとふれると、ああそっか、少ししか楽しめなくて残念だね、と、かすれた声でかろうじて答える。彼女の目に少し光が戻ったのがわかった。

何気なく病室をみまわせば、手つかずのお見舞いの品があちこちに置かれていた。

「お友達、お見舞いも来てくれたんですよ」
私の気配を察してか、彼女は言う。
「出会った頃に、教えてくれましたよね。"人とは目を見て話せ"って。ご主人さまのおかげで、友達いっぱいできたんです。自信がなくて、コミュ障だったわたしに。」

私は、彼女が、私の指示にひたむきに従ってくれたおかげだよ、と声をかけた。

「でも、ごめんなさい。もう見えないんです….最後にご主人さまを見たかったのに」

彼女の口調は後悔に滲んでいた。
私の視界も溢れ出る涙で何も見えなくなっていた。

「ほんとはね、こんな姿見せたくなかったんです。もう助からないのは知ってたし。ご主人さまに看取ってもらうなんて絶対イヤだ!って思って。そんな女、めっちゃ重いじゃないですか。それにほら、わたし、ドMだし。だから、ぼっちでも、痛みの中で死ぬのなら”ご褒美じゃん”って思ってました…でも…」

何も言葉をかけることができず、何度もうんうん、と言って、彼女の手をなでた。

「それでね、余命三週間なんですって。冗談じゃないですよね、こんな辛い痛みをそんな耐えろなんて…ご主人さまにもらう痛みだったら、何ヶ月だって何年だって喜んで耐えるのに」

私は彼女の独白に、うれしいよ、ありがとう、と答える。

「…他の痛みなんて、ぜったいに無理。もう耐えられない。」

私ももう耐えられなかった。限界だった。
しかしサブミッシブの前で、すすり泣くことだけはしたくなかった。
私は無言で彼女を見つめ、そして涙だけがとめどなくこぼれ落ちる。

彼女はそのまま黙り込む。

しばらくして、私の涙が止まるのを待っていたのかのように、虚空を見つめる目が、ギラりと異様な光を放った。

「サブとして、いけないことだと思ってるんですけど…おねだり聞いてくれますか?」

もう目が見えないはずなのに、彼女の瞳はまっすぐ私の目を見ていた。
再び吹き出す涙をかろうじてこらえながら、震える声で、何でも聞くよ、と伝える。

「…ピーナッツ。あの戸棚に仕舞った、ご主人さまのピーナッツがたべたいです。わたしのために、ずっと、我慢してくれてましたよね」

私は、彼女の最後の望みが何なのかを悟った。


その二日後、病院から彼女が亡くなったことを聞かされた。死因については、なんらかの発作による心停止と伝えられた。
DNRにサインしていた彼女に、蘇生措置は行われなかった。

火葬の日、死化粧を担当してくれた人が、不思議な出来事があったと、わざわざ私に伝えに来てくれた。

普通、発作で死んだ人というのは苦悶の表情のままのことが多く、穏やかな顔にするのが大変なんだと。

しかし、彼女の死に顔は
「心底、嬉しそうな顔をしていた」
と。


万事に気を配るのが得意な彼女らしく、自分の埋葬については、私に委任するという手紙を残していた。彼女の両親は最後まで姿を見せなかった。

住職に多少のお布施を積んで、何も問わないことを条件に、私がいずれ収まる予定の墓に、遺骨だけ入れてもらった。


うだるような湿気の中、線香の煙があたりに漂い、追憶を断ち切る。

私の好物だったピーナッツ。
彼女が食べれなかったピーナッツ。

最後に渡したのと同じ、三粒だけを、缶からそっと取り出す。

墓石に供え、手を合わせる。

彼女の名前は彫らなかった。
誰にも知られたくなかった。
彼女は私のサブミッシブだから。
彼女は私だけのものだ。
だから、世界で、私だけが、彼女の居場所を与えられるのだ。


「缶が空になるのが早いか、俺が死ぬのが早いか。どっちだと思う?」

永久に勝てないのを知りつつ、来年も、とびきりのブラックジョークを用意しておこうと心に刻みながら、墓前を辞した。

(了)


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