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No2は推進力であり抑止力

指導力不足、空気読めない、タイミングの悪さ、そのくせに頑固で融通が利かない、などなど・・・色々と批判されている現在のガースー政権。ポスト安倍として名乗りを上げ、他の二人の総裁候補に圧倒的な大差で勝利し、多少は期待されスタートしたものの、失敗!と言われても仕方のないコロナ対策の影響で、支持率はわずか半年で1/2までダウン。繋ぎ政権、今総裁をするのは貧乏くじだ、と言われていたように、まさに貧乏くじを引いてしまった感があります。とは言うものの、国民感情は「今のコロナ対策は誰がやってもうまくいかない、ホンマに貧乏くじだよね、管さんを攻めるのは気の毒・・・」とはならないのです。歌手のWアキ子氏が「菅さんがかわいそうな気がしてきた・・・」と発言していたようですが?可愛そうなのは、感染対策をちゃんとしていても感染し、後遺症で苦しんでいる人、高齢者、そして死亡された人たち、医療従事者、飲食、観光等コロナの影響を受けた人たちです。菅総理をはじめ国会議員のほとんどは満額のボーナスを手にしながら仕事している人がどれたけいるでしょうか?アンリ夫妻さえ支給されるとは、どれだけ国民の方がかわいそうなことでしょうか。

死者は3000人弱で、諸外国に比較すると圧倒的に少ないとは言え、3000人の死者は驚く人数です。また、完治せず後遺症で苦しむ人たち、営業自粛で生活できず、死を選択せざるを得なかった人たち、疲弊しつつも最前線でギリギリで踏ん張っている医療従事者、そして今だ増加しつつある新規感染者。国民の精神と肉体は日を追うごとにコロナウイルスに蝕まれて行ってます。未知のウイルスではありますが、政府をはじめ、地方自治体、それらの連携のまずさは否めません。その責任の根本はやはり政府、日本の行政のトップである、内閣総理大臣にあります。

どんな組織にも同じように言えることだと思いますが、順調な時はいいんですよ。指導力のないリーダーでもそれなりにうまくいきます。問題は危機が訪れたときです。その時こそ、リーダーの真価が問われる時で、賢いリーダーの存在が必要です。そして何より大事なのは、そのリーダーを支える人物の存在だと思います。いわゆる右腕となる人がいるかどうかです。
リーダーは少々アホでも、リーダーに助言し、反論し、正しい選択をさせる人物が必要だと思います。No2はリーダーの背を押してくれる推進力であり、間違いに待った!を掛ける抑止力です。

政治の専門分野の人たちの話を聞いていると、菅総理にはそんな人物がいないと聞きます。間違ったリーダーの選択に意見する人もおらず、廻りはイエスマンばかり。そしてあろう事か「ガースーです、って挨拶すると良いですよ ♪」と若手議員に言われたとか。またそれを鵜呑みにして実行してしまう総理。そんな組織ではつぶれてしまうのは時間の問題。


冷戦後のロシアの政治的混乱を背景にクーデターが発生し、ウラジオストックの海軍基地が制圧されてしまう。核ミサイルの発射にそなえて出撃した弾道ミサイル搭載原子力潜水艦を舞台に物語が進む。ハーバード大出のエリート副長と叩き上げの艦長の対立、白人と黒人の相克、「見えない敵」との頭脳戦、外界と限られた接触しかない特殊な環境、これら潜水艦映画の伝統的なプロットを踏まえつつ、ほとんど一般に知られることのない、現代の弾道ミサイル原潜内での日常、演習、ミサイル発射手順の細部の描写の積み重ねを踏まえて、究極の破壊力の行使をめぐる緊迫したドラマが展開される

上記は映画「クリムゾンタイド」のあらすじです。
この映画が製作された1995年当時は、原子力潜水艦に搭載された核ミサイルの発射権限は艦長が持っていました。
ミサイル発射の打電が途中で途絶え、発射命令だったのか?発射中止だったのか?不明の中、ベテラン艦長(ジーン・ハックマン)と副艦長(デンゼル・ワシントン)の間で緊迫した攻防戦が繰り広げられます。
打電の語尾不明のまま、状況判断とキャリアを元に核ミサイル発射を実行しようとする艦長。疑わしい状況では断じて発射実行するべきではないと主張し、上官である艦長に反発する副艦長。艦長に鉄拳制裁を受けようとも、自己主張と自己責任を曲げようとはしません。
お互いの考えを主張し、ぶつかり合う極限の緊張の中で、副艦長は遂にその権限に置いて艦長の任を解き、艦長を艦長室へ拘束します。

軍規定の中では下士官であっても、上官の任務を解く権限も持っているのですね。

しかし、拘束された艦長とて、みすみす黙ってはいません。自分の命令に従う部下を集め反撃に打って出るのですが・・・続きは映画を見てください。

この映画の結末はネタバレになりますが、副艦長の主張が正解でした。結果、戦争回避となります。艦長は自分の過ちを認め、副艦長を称えます。
もし、副艦長がいなかったとしたら・・・戦争突入。副艦長がいてもイエスマンなら・・・戦争突入。
間違った判断で世界を混乱に落とすことになるもしれないと言う究極の選択の中で、艦長の命令と権限は絶対ですが、それでも納得できない以上艦長に同意はできない。自分の権限と知識、そして肉体をもって全力で艦長に抵抗する姿は、まさにNo2としてあるべき姿だと思います。

普段は腰ぎんちゃくみたいにくっついているだけでも悪くはないですが、危機迫るとき、重大な判断を下す必要のある時、リーダーが判断しかねている時こそ、No2となる人間の意見が必要だし、存在が必要だと思います。そして、リーダーにとって最も信頼のおけるパートナーとなるべき存在を作ることもリーダーとなる人には必要だと思います。
菅総理にそうい存在が無いと言うのは、リーダーとしての資質が無いと同じこと。早急に対策して欲しいものです。ただ報道するだけの官房長官ではダメですから。




少今日この頃。
問題山積の現在の一番の今年の春先から流行り始めたしかですが、コミューケーションの


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