近況①

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綺麗に桜の咲き誇る3月ももう終盤。2022年になってからのこの3ヶ月間で本当にいろいろなことが起こり、心の整理がつかないので、最近の近況報告という体でこれまでとこれからの話をしようと思う。

端的に言うと、仕事を辞めて地元に帰ることになった。4月から公務員学校に通い、来年から地方公務員になれるよう勉強する。それまでの経緯を以降に書き記していく。


はじまりは正月だった。数日間だけの短い帰省。酔った父親が「地元に帰って公務員になるなら専門学校の学費を援助してやる」と言ってきた。父親の言うことをまとめるとこうだ。

・自分は今年中に仕事を辞めるつもりである
・仕事を辞めた後は県外で数年"ビジネス"をし、その後は海外(南アメリカ?)に住む
・しかし、娘が地元に戻って学校に通い地方公務員になるなら学費を援助するから仕事は辞めない
・夏頃には仕事を辞めると伝えるつもり

この話をしながら「年金は死亡だと以降6年しか貰えないが行方不明だともっと長い期間貰える」という話もしていた。
2年前。末の妹が進学で家を出ることになり実家は両親だけになったタイミングで、母親が父親に別居を切り出した。どうしてそうなったのかは話が長くなるので割愛するが、結論を言えばそのタイミングでは両親が別居に至ることはなかった。
そして今。その話をされた私は父親の方から家を出るつもりなのだろうと悟った。そもそも別居を切り出された時に「出ていくなら俺がそうする」と言っていたらしい。年金の話を添えられたことで海外で行方不明になろうとしているのだろうとも思った。
父親がそうした人生計画を練っていく中で私の学校の話がでた理由は、私の仕事をよく思ってなかったからだろう。もともと父親は私に公務員を勧めており、どこぞの人材派遣会社で監視系の仕事をしていることを憂いていた。仕事については私自身も悩んでいたことで、この仕事は現場の人と評価する人が違うから現場で頑張ったところで給与は上がらないことや、そもそも昇給の頻度が少ないこと、現場は毎日同じことの繰り返しなのでスキルも身につかないこと、業務内容自体はバイトでもできるような簡単なものなのに責任ばかりが重いことが本当に不満だった。
同業種の友人たちがどんどんスキルを身につけているのに何もないままだらだらと同じことを繰り返すのに焦りを覚えており、転職を考えながら人事面談では別の現場に異動したいと名乗り出ていた。その矢先の話だったのでこの提案は、父親の将来ビジョンが心配だという懸念こそあれど、そこそこ魅力的に響いてはいた。

これはせっかくの正月の休みを重苦しい気分で終えさせる出来事だった。兄弟や友人、職場の人に相談して、まあ父親が退職を切り出すという夏までになんとかすれば良いかと思っていた。


2月頭。現場ではなく会社の方の上長から連絡が入った。年明け前に「転職もしくは現場の異動をしたい」と相談してから異動先を探してくれたようで、ここはどうだろうかという提案だった。異動先は働きながらいろんなスキルが身につくような職場で、早ければ4月頃には異動できるらしい。
異動先はこの会社を続けるのであれば非常に魅力的だった。正月に父親にあんなことを言われていなければ喜んで受け入れただろう。だが、1ヶ月前に突然現れた選択肢を捨てられてなかった私は、上長への返事を一旦保留とし、父親にあれは酔った勢いの妄言ではないかの確認を取ることにした。
確認の結果妄言ではなかったのだが、その確認の段階で新たな問題が発生した。1月中旬頃に母親が実家を出て行って祖母の家に住んでいるという。つまり、今はあの広い実家に父親が1人で住んでいるということだ。では父親がビジネスとやらで家を出たらあの家はどうなるのか?私はあくまで前向きな気持ちで地元に戻ろうとしていたのに、いろいろなものを人質にされているような心地がした。妻に逃げられた男は数年以内に死んでしまう確率が高いという話も聞く。父親は決して精神が強いわけではない。

父親には常に怯えているし正直言うと苦手だが、決して死んでほしくはなかった私は、その状況を聞いて実家に帰ることを決心した。

上長に実家の事情を伝え、異動の話は無かったことにしてもらった。ゆくゆくは退職をしたいと話すと、残念だと添えられながらも揉めることなく承認していただけた。ただ、2月上旬に言い出されても、後任の人を決めたりする関係で4月に入学は難しいと言われ、その時はそれを飲み込み後任の決まる5月以降に退職するつもりでいた。同じ職場にいる唯一の社員も、2月頭に突然3月末で辞めたいと言い出して支社が騒然としているのだという。ただでさえ会社に迷惑をかけることになるのだから、4月入学には間に合わなくても良いかと考えていた。
それを父親に話すと「貴重な20代の1年間を無駄にするつもりか」「転職をするなら20代前半じゃないと」と言われた。それでも…と思っていたが、4月と11月に入学できると思っていた公務員学校が実質4月入学しかできないことが判明。また、友人からの後押しや「会社は2週間以上前に提出された退職届は受理しなければならない」という情報を見て、不義理ではあると思いつつも2月中旬の深夜、社用PCから退職届を提出した。


長くなったので一旦ここで区切る。今日はまだ一度も食事をしていないのでこれから夕食を作ろうと思う。それでは。

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