アニメ『イエスタディをうたって』がほんとに惜しいと思う理由

今日2話までみて、ついついこの記事を書きたくなった。個人的に好きな要素がいくつかあるだけに、ある点においてこの作品が残念になっているように思う。この作品の素晴らしいところと、それを踏まえての残念な点について書いて行こうと思う。

(この作品が好きな人にとっては不快な文章かもしれません)

1. この作品の特徴(良いところ)

このアニメの素晴らしさは、先が見えず不安定ではありつつも、その生活に順応してしまっている故にこのままでもいいかと感じているような、よくありそうなフリーターの生活を、切なさを感じる美しさで切りとった演出にあると思う。他のアニメと比べ、

・ 日常的な風景のリアルさを損われずに美しく描かれている。
・ 同窓会の案内、コンビニのバイトに対する所感などの口に出すわけではないが、社会に順応することが得意でない人のリアルな感情の表現(とくにセリフ)
・僕たちの日常の延長にある世界であることをBGMを多用せず、環境音を聞かせることで表現している
・会話のテンポも他のアニメに比べて、間の取り方などの工夫がみられる

この作品で表現したいことは原作を読んでいないので詳しくはわからないが、社会で受け入れられていない人の物語を通して表現する上で、上記のような演出は大変ハマっていると思う。

2. 残念な点

このアニメではリアルな表現が多くて素晴らしいと前項では述べたけど、リアリティを損なってしまっている点も多くあると思う。そういった点も列挙していく。

1. 微妙にご都合主義がかいまみえる展開
例えば、たまたま主人公と先生が深夜に公園で出会って、その会話を同時に他の二人がたまたま目撃してしまう。とか、中退した学校の門の前で堂々と座って先生を待つ。あと、主人公が先生の過去を聞いて、先生の家の前で待っている時に、コンビニのエプロンをつけたままで待っていたりだとか。これは、周りなんてどうでもいいと思える程主人公にとって重いことをしようとしていたからという演出なんだろうけど、それなら主人公が先生の家の前についてから間もない時に先生が帰ってきたみたいにするべきだった(それもそれでご都合主義感は出ちゃうけど)。主人公の様子を見るに、先生の家の前についてから考える時間はしばらくあったようにみえたし、その間にエプロンを外すくらいは出来たのではないかとつい思ってしまった。
このようなツッコミをいれたくなるような場面がいくつかあった。細かいところではあるんだけど、リアリティを表現するギミックが多く揃えられている分、リアリティの感じられないような行動がみられた時、その違和感はより大きく感じてしまう

2. 高校生の会話が高校生がするような会話じゃない
正直、現実世界を舞台としたアニメ(や小説などでもそうだが)で描かれる高校生って、実際の高校生より大人っぽく描かれてしまう気がする。そうしないと物語が進まないからだったりするんだろうけど、2話までに出てきている高校生二人の会話は、現実の高校生の会話に比べて、アニメ仕様の大人っぽさがあったと思う。
この点は、好みが別れるとこなのかもしれないが、僕は微妙だと感じた。今回の作品は、テーマや背景が昔の新海誠監督の作品(特に秒速5センチメートル)に似ていると感じるけど、高校生が大人っぽく描かれすぎてて入り込めない部分も似てしまっていると思う。僕はそれでも、甘酸っぱい感傷を感じられる秒速は好きなのだが、この作品は新海作品と似ていながらも、そこまで製作者の意図から生まれた大人っぽすぎる高校生が許されるほどの洗練された表現とも感じられない。

この2つの点は、原作をアニメ化する上で変えられない点であったのかもしれない。だからって原作を批判したいわけではなく(原作はこのような展開が活きるコンセプトがあったのかもしれない)、漫画をアニメ化する上で乗り越えたい壁を乗り越えられなかったのかなという印象を受けてしまった。

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