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父の最期を看取ったこと

こんにちは。りかです。

note、魅力的な人がたくさんですね。
どんどん色んなかたの投稿を読んでいたら
楽しくて、あっという間にこんな時間。

8月4日、もう残り数時間となりましたが
今日は父の命日でした。

これは、在宅看護で父を看取るまでの短い日々のことです。


「一緒に暮らそう」と言った日


「明日の飛行機に乗って、うちに来ちゃいなよ。
家の荷物は落ち着いてから引っ越せばいいからさ。
服でもなんでも、すぐ必要なものはこっちで買ったらいいよ。
とりあえず、そのまま一緒に暮らそうよ。」

まるで遠距離恋愛の恋人に伝えるような言葉みたいだけど
これは、わたしが父に伝えた言葉。

深刻なトーンに聞こえないように気をつけた。
軽いノリで、どうってことない感じで言った。
おそらく、これは一刻を争うような状態だ。
すぐに来てもらわないと間に合わないかもしれない。

久しぶりに父から電話があって
年明けから突然20キロ以上痩せたのだと
少し言いにくそうに言われた日だった。


父との再会と診断


検査したか聞くと、まだしていない。
病院へ行くのが怖かったのだろう、
気功の先生に見てもらおうかと思っているなんて
のんきなことを言う。
流石に、検査でしょ。

母を亡くした後、神奈川にあった実家を手放した父。
それから父は知人の紹介で千葉の一軒家で一人暮らしを始め
わたしは結婚して九州の温泉地で家族と暮らしている。

夫や息子も合意してくれていたので
これまで何度も同居しようと誘ってきたけれど
「(家庭菜園の)野菜のお世話をしなくちゃだし
こっちでやることがたくさんあるから」なんて
遠慮して、いつも同居を先延ばしにし続けてきた父だったが

このときは少し間を置いて、「そうしようかな」と答えた。

翌日、大分空港へ迎えに行くと
パッと見には父だと分からないほどに
すっかり痩せてしまって人相が変わった父が
黒い小さなキャリーケースを支えにするような姿で現れた。

こんなに急激に痩せてしまったなんて。
ショックだった。
病院へ検査をしに行くと、大きい病院への紹介状が出た。
膵臓癌のステージ4だった。


在宅介護の現実


父は抗がん剤治療も入院も望まなかった。

訪問診療の医師と相談して
病院ではなく、わたしたち家族の日常のなかで
父を介護していくことに決めた。

しかし、わたしは甘かった。
在宅看護、甘くみてた。

食事やトイレのサポートは
赤ちゃんを育てているときに似ている気もしたけれど、
日に日に出来ることが増える赤ちゃんではない。
日にちに出来ることが減っていく父をみるのは
精神的にダメージを受けた。

体力的にもキツかった。
訪問看護が来てくれるのは1日1時間程度だったから
それ以外の時間は、ほぼ一人でみなくてはいけなかった。

(いまなら、もっと夫に頼るだろうな。
突然の決定を文句ひとつ言わずに受け入れてくれたので
それだけで十分ありがたくて
出来る限り一人でなんとかしようとしてしまった。)

深夜にブザーで起こされてトイレのお世話をし、
食欲がないといって食べようとしない父に
消化の良いものを家族の食事とは別に用意して
応援して出来るだけ食べさせて、歯磨きをし、
突然、気を失って呼吸が止まってハラハラし、
胆管が詰まって炎症を起こして救急車に乗ったりで、
心も体もくたびれ果てて
私も限界ギリギリのところまでいった。

でも。

まったく悔いが残らないほどに
自分が出来ることを全てやり切ることができた。

父から若かりし日の母との話を聞くことができた。
父が仲違いしていた友人との和解を手伝うことができた。
父と兄の確執を執り持つことができた。
父の人生の思い出を、記録することができた。
わたしの手料理を食べてもらうことができた。
一緒に音楽を聴き、旅の写真を整理することができた。
たくさん体をさすり、抱きしめることができた。

そうさせてくれた夫にも父自身にも
状況を理解してくれた息子にも
心から感謝している。


最高の朝ごはんと別れ


新緑が気持ちがいい季節に
ウッドデッキに小さなテーブルを出して、
皆んなでホットケーキを食べた。

父が口にできたのは
本当に小さな一欠片だけだったけれど
「こんな最高の朝ご飯は、きっと人生で最後かもしれない」と
笑って言いながら、父は泣いていた。

「最後じゃないよ、簡単だし、またしようよ」と
私は焦って言ったけれど、多分そういうことではなくて。

家族みんなが集まって、美しい新緑のなかで
ゆっくり一緒に食事をすることができて。
確かに、あれは最高の朝ごはんだった。

わたしが料理を作っている音、
コロナ禍で学校がお休みの息子が家で遊ぶ音、
夫、私、息子の話し声。

普通の日常生活の中に、父がいて。
そして、最期を看取ることができた。

正直、本当に思った以上に大変だった。
決して軽い気持ちでは、勧められない。
いつかわたしが最期に向かって行くときには
病院か施設に入ろうと思っている。

だけど、あのとき。
明日から父と一緒に暮らそうって決めてよかった。
家で看取ろうと決めてよかった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

思春期から30歳まであった父への怒りを終わりにして
同居して最期を看取るほど私の気持ちが変わったことは
すこし長くなりそうなので、また別の機会に。

あなたが、いまどこにいて誰といて何をしていても
いつも健康でしあわせでありますように。


もし、はじめましてでしたら、ご挨拶させてください。



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