ちんまい

『悲劇のヒロイン』を正当化しない
悲劇のヒロイン症候群を聞いたことがありますか
不幸を自慢することです。

❶不幸アピールが激しい
❷幸せになることが不安
❸人の不幸話が苦手
❹自分が中心
などが当てはまるとその可能性大

悲劇のヒロインを正当化する意味って何?

もちろん、実際に悲劇が続くことはあるでしょう。何をやってもうまくいかない、前に進めない、過去に足を引っ張られるなど人それぞれの環境があり運もあり、本当に辛いことだって多いと思います。

ただ『どうしようもない』『しょうがない』と決めつけて自分の人生を変えることを諦めてしまうのは、良いことなんでしょう。

個人的な感覚では、悲劇のヒロインを正当化する人は、
1.自分の世界が狭い
2.考え方が偏っている
3.努力の仕方が偏っている
4.『しょうがない』前提
5.外側に原因をもとめている
6.一気にはずれようとしない
7.やる前から『でも』と言う
が当てはまるはず。

今の境遇を嘆いている人は
本気で変えようとどれだけ努力をしましたか?

1週間海外生活してみましたか?
1週間お金を持たず旅をしましたか?
様々な価値観を実践してみましたか?
いつもと違う自分で反抗してみましたか?
実践してメモを書いて分析してみましたか?

これをすべてやった上で『しょうがない』と言ってるんですか?どうせやってませんよね?やろうと思ったことありませんよね?

[人事を尽くして天命を待つ]
全てをやり尽くした上で、もう本当にこれ以上はない。捻り出せない。周りから吸収できない。もう最善を尽くした。
そう、心から言えるのであれば、あとは"運"です。天命が下るのを待つしかないです。

ほとんどの人はこの『人事』の世界が狭くて甘いです。小さな世界で足掻いて、足掻いて、"つもり"になってるんです。

正直自分の話なんてアフリカの子供達からしたら小さな話ですし、お金の話なんて東南アジアの生活を知ればたかが知れてます。
無一文で旅をした人から言わせれば、お金が無くても生きていくことはできます。

自分の世界を広げようとせずに今ある世界で足掻くこと自体が、人事を尽くしてないんですよ。

『人事を尽くす』とは
《人としてできる限りのことを尽くす》
ということなんです。
《その上で胸を張って『俺は人事を尽くした』と言える人はどれだけいるでしょうか?》

それだけやり切った人が、果たしてこの世にどれだけいるでしょうか?

自分の世界を広げて、考え方をガラッと変えて、努力の仕方を変えて、自分にも原因を求めて、視野を広く持って、今を生きる。

《自分の人生にどれだけ胸を張れるか》
これを常に追い求めたい。

toじぶん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?