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꼬마별 / 日本語歌詞と考察・解説

 ついにヒョンジンの自作曲が公開されましたね...!作業していることには言及していたのでいつかなあと思っていたら。。。いつも曲を聴く前にメンバーのコメントがあればそれを読んでいるのですが、出だしからやばい予感しかしなかった。

 ウッ......つらい。ヒョンジンがカミの前に飼っていた犬の名前が「コミ」です。そんなコミはヒョンジンの家にやってきたときにはすでに病気になっており、すぐに入院。看病もむなしく幼いままこの世を去ってしまいました。そんなコミについて歌った曲です。

 この曲を聴いて、歌詞を和訳して、そして考察をまとめている間に何度も泣いてしまいました。そんな悲しい曲ではありますが、すごくヒョンジンにとっても、コミにとっても、とっても意味のある曲だと思うのでこの記事にお付き合いいただけるとありがたいです。


日本語歌詞

空にちりばめられた星たちを
窓になぞらえて君を描いてみる
小さかった君はきっと今頃
一番輝いているんだ

ごめんという言葉が君には
最も地獄のようだったと知りながら
どうすることもできなかった言い訳の中で僕は
最後まで笑えなかった

あの星 あの星に僕の声が
届けば 届けばいいな
僕がいくら叫んでも
君は本当に綺麗だったって知らないままだということ

全部教えてあげたかったのに
君が見て笑顔になれるだけのものを
特に賢い君だったから
痛みは全部覚えていそうで

涙が止まらなかった
君に最初から会うべきじゃなかったのにって
考えた馬鹿な自分が嫌だった
今でも君を抱きしめたい ごめんね

あの星 あの星に僕の声が
届けば 届けばいいな
僕がどれほど叫んでも
君は本当に綺麗だったって知らないままだということ


歌詞の考察・解説

 タイトルの“꼬마별”には、いろんな意味が込められています。
“꼬마”は「小さい、ちびっこ」、“별”は「星」。ヒョンジンが歌ったのは“꼬미”という名の、昔飼っていた小さく幼かった犬。
 それを踏まえて、この曲を考察・解説していきます。

空にちりばめられた星たちを
窓になぞらえて君を描いてみる
小さかった君はきっと今頃
一番輝いているんだ

 人は『亡くなったら星になる』とよく言われますが、それを用いた表現です。「空に散りばめられた星たち」は、「美しき景色」であり、「既に旅立った命たち」であることを掛けています。

 星を命に例えて、既にいなくなってしまった君(=コミ)を思い描いているんだけど、「窓になぞらえる」とある通り、『窓』という無機質なものに遮られていて、決して自分の手は届かないということも併せて表現しています。

 「小さかった君」はコミのこと。大きく成長する前に、まだまだ幼いまま亡くなってしまったコミも、自分が今見ているあの美しい星の中で輝いています。
 一般的には命にどれが尊い尊くないという価値はなく、等しく同じであるといわれますが、縁者にとっての命の価値は縁者であるか他者であるか、で圧倒的に異なる為、「きっと一番輝いている」というのは、コミに対する愛情ゆえにこう表現されたのだと思われます。

ごめんという言葉が君には
最も地獄のようだったと知りながら
どうすることもできなかった言い訳の中で僕は
最後まで笑えなかった

 謝罪の言葉は、「罪を認める時」「許して欲しい時」に使われる言葉。この文脈では、『ごめん』と謝ることによって、全て諦めてしまった、というようにもとれます。

 ヒョンジンの元に来て1週間足らずで容態が悪化したコミに対して、不安やショックやらできっと「ごめん」としか言えなかったんじゃないでしょうか。
 「最も地獄のようだと知りながら」というのは、つらい時に、もう残された時間がわずかしかない者にとっては、そんな言葉は余計につらいだけであったはずだということ、そして謝られるのが一番コミにとっても辛かったはずなのに、という後悔の表現。

 「どうすることもできなかった」というのは、コミが元々病気だったということ。ヒョンジンがどうこうできる話ではなかったということ。どうしようもなかったから、コミが辛そうなのが可哀想で申し訳なくて、自分はコミの容態を心配するしかできなかった

 ただ、「言い訳の中で僕は最後まで笑えなかった」とあるように、その事実を言い訳にして、「最後を笑顔で看取ってあげられなかった」ことを後悔している感じ。家に来て数日のコミにもっと愛情を注いであげて楽しい思い出を作ってあげたかったのに、自分は「ごめん」って謝ってばかりで笑わせてもあげられなかったんだという、当時の自分を酷く責めるフレーズ。

あの星 あの星に僕の声が
届けば 届けばいいな
僕がいくら叫んでも
君は本当に綺麗だったって
知らないままだということ

 「あの星」は星になったコミに向けた代名詞。
 「届けばいいな」と希望を述べながらも、後述より届くことが難しいということもわかっている状態です。半分諦めが入っていながら、それでも諦めることができない複雑な心境を表現しています。

 「君は本当に綺麗だったって知らないまま」とあるように、コミは本当に綺麗だったのに、コミは自分が綺麗だったって知らないまま逝ってしまった全然伝えられなかった。どれだけ叫んだって、上記のようにきっと届かないってわかっているけれど、それでもなんとかしてコミに届けたい、という切実さ。
 ここのフレーズがサビにくるの辛すぎるなあ、この曲できっとヒョンジンが一番言いたかったのはここだと思います。

全部教えてあげたかったのに
君が見て笑顔になれるだけのものを
特に賢い君だったから
痛みは全部覚えていそうで

 前のフレーズで少し述べたけれど、コミに何も伝えられなかった、と後悔しているのでここの歌詞が出てくると思われます。
 「笑顔になれるものだけを教えてあげたかった」のに、結局自分は自分の悲しい、辛い、寂しい、申し訳ない、そういった感情だけをコミに見せてしまった。

 『家に来た当初からトイレも上手で、一度教えたらちゃんとそこにできるくらい賢かった』というエピソードがあるくらいコミは賢かったから、星になった今も病気で苦しんだ時の痛みや、ヒョンジンから向けられた悲しい感情が突き刺さる痛みを全部覚えていそうだ、ということです。

涙が止まらなかった
君に最初から会うべきじゃなかったのにって
考えた馬鹿な自分が嫌だった
今でも君を抱きしめたい ごめんね

 コミが入院して、『なんとしてもこの子と一緒に過ごしたい』という気持ちでずっと病院に通っていたヒョンジン。何とかして助けて欲しいと望んだけれど、それでもコミは幼くして天国に行ってしまいました。
 その事実がすごくショックだったヒョンジンは学校に行ってもどうすればいい?どうすればよかったんだろう?と後悔した…という話。

 笑顔になれることも、自分が綺麗だったってことも知らないままヒョンジンの悲しい感情だけを受け止め、病気で苦しんで辛いまま亡くなってしまったコミのことを思うと、「最初から会うべきじゃなかった」という想いが脳裏をよぎってしまうほど、ヒョンジンにとってはそれぐらいショックで涙が止まらなかった出来事ってことです。

 でも、時間が経てば、冷静になれば、出会ったことを後悔なんてした自分が本当に嫌になったと。コミと出会ったことを「後悔」にしてしまったら、コミの短い人生は無意味になってしまうから…。そして、ヒョンジンはコミが大好きだから。「今でも君を抱きしめたい」ほどに。「ごめんね」は、これまで述べてきたヒョンジンの後悔すべてに対してコミに謝ってる、という感じです。

あの星 あの星に僕の声が
届けば 届けばいいな
僕がどれほど叫んでも
君は本当に綺麗だったって
知らないままだということ

 1番のサビとほぼ同じだけど、ここでの「僕がどれほど叫んでも」にはさっきの後悔に対する謝罪も強く含まれているので、より切実さが増される感じがします。


 歌詞の解説は以上になりますが、次は映像の話を少しします。


 1番の時にはコミに対する感情を手紙に書いて、紙飛行機にして飛ばして届けようとする描写があります。これは、冒頭のヒョンジンのコメントにもある通り、この曲が「コミに向けて書いた手紙」となりえるからです。

 2番が始まってすぐ、ヒョンジンが箱からくまのぬいぐるみを取り出しますね。ヒョンジンは過去のブイライブでコミの話をした時、「くまみたい、赤ちゃんくま」と言っていたのでコミをこのくまのぬいぐるみに見立てています。

 そしてカメラ。ヒョンジンにとって今はカメラで瞬間瞬間を切り取るのが趣味のようになっているから、メンバーやカミの写真はたくさんあるけど、過去本当に短い期間しかいなかったコミの写真は対照的に全然ない、というのを表現しているようにも見えます。

 2番のサビでは、コミと遊んであげるかのようにおもちゃを何個かこちらに投げるシーンがあるけど、もちろんそれが返ってくるわけもありません。「叫んでも届かない」という歌詞とリンクしています。

 コミに見立てたくまのぬいぐるみに縋ってみるけれどそれでも何も返ってこず、おもちゃと一緒にぬいぐるみを置いてしまいます。全て過去になってしまった後悔してももう遅い、と、時間が残酷である描写をされています。

 最後のメロディでの映像は、きっと『コミにしてあげたかったこと』だったはず。擦り寄ってくる頭を撫でてあげたり、庭で走って遊んだり。
 それが叶わないってわかっているからこそ、その夢に蓋をするようにくまのぬいぐるみでツリーを飾って隙間を埋めます。クリスマスの曲もかけて、綺麗な思い出(=飾り付けられたクリスマスツリー)に変えて。その状態で写真を撮ることに含まれる意味とは...


 カミの写真が多いからこそ、コミの写真が少なくて申し訳なくなった、とコメントを残したヒョンジン。コミ自身の写真を増やすことは出来ないけど、この曲でコミとの思い出を振り返って、自分の感情を整理して、写真を撮って。
初めての自作曲を、数少ないコミの写真の代わりにして思い出にしたっていう、そういう曲。ヒョンジンの柔らかくて優しい温かい声が、思い出になったよ、それでも君が大切だよ、って語っているみたいで…。

 こんな感じにわたしは読み取ったんですが、特に映像の最後が泣けて泣けて仕方なかった。見てたら涙が止まらなくて。

 コミがヒョンジンのもとにいたことも、コミがこの世から去ってしまったのも、酷く泣いたのも全部全部過去の話。だからヒョンジンも歌詞で過去形を使っています。

 ところが、自分の感情においては過去形と現在形が混在していて、例えば「届けばいいな」とか。過去の話だから全て過去になって自分の中で思い出として完結されたわけではなく、今でも色あせない思いがあって、今でもコミのことを想っているという心が強く表れていると思います。

 悲しくもあり、切なくもあり、それでも胸にしみわたるような素敵な曲でした。お疲れさま、ヒョンジン。

 ここまでお付き合いいただいてありがとうごさいました。

                           2020.12.21 

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