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「叱る」が通用しない時代

おはようございます!

叱られるって正直あまりいいイメージを持った事がありません。

時代の流れなのでしょうか。

声を上げて叱ったり、冷静に叱ったりと、方法はあれど、どちらにせよ深く反省とゆう所までいかない。そんなイメージがあります。

ゆとり世代を居生きてきた私だからそうゆう考えが生じるのでしょうか。。。

しかし、こんな考え方をする人も中にはいるんじゃないかと思います。

どうせここに骨を埋める訳じゃないし

全く一緒とは言わないまでも、似たような考え方を持っている人はきっといるはずです。(同士よ集まれ。。。。。)

これからの時代「個人の時代」なんて言われていますが、振り返ってみれば私たちが社会人なり立ての頃からそんな風潮は徐々に始まっていたんじゃないかなって思います。

ただ会社は、社会はそれを認めなかっただけで。

そうじゃないと私たちが学んできた事はどこへやら。。。

そんな気がしてならないです。

ゆとりを生きて、社会に出て学んだことは、1人1人が自分の人生に責任を持つこと

でした。これぞまさしく「個性の時代」の先駆けではないでしょうか。

ネットや動画など新しいビジネスとゆうのは当時は想像もつかないながらもYouTubeやflash動画などの動画コンテンツは既にあったし

私の記憶では確かに今その映像を見たら鮮明ではないのかもしれませんが

不快になるほどの画素でもないしローミングが特別遅い訳でもなかった記憶があります。

それらを踏まえゆとり世代が学校教育で学ぶべきだった道徳とゆうのはこれからの時代をどう生きるべきなのかを学べたらなと思いました。

勿論、子供なのでいきなり難しい事を言われても全くイメージもわかないだろうし、寧ろ聞く耳を持つかと言われれば持たなかったかもしれません。

しかし、大人になったときにその時の時間や言葉とゆうものが突然思い出す瞬間が必ず来ると思います。

そうなった時に、必ず役に立つ。そんな気がしています。


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