「現在進行形で死にたい」/"I rather die trying."

 “I rather die trying.”
 数年前、トム・ぺティのバイオグラフィーを読んでいたとき見つけたトム・ペティの言葉だ。
以来、ことある毎に思いだしては、前後の文脈がなくても、その意味が伝わる日本語訳をずっと考えていた。
たとえば
Where there’s a will, there is a way/意志あるところに道あり
とか
くだけたところでは
Good medicine tastes bitter/良薬口に苦し
など、英語でも日本語でも一度耳にしただけで「確かに」と納得できるような日本語。両方ともほぼ直訳だ。だけど、I rather die tryingはratherが入っているからか、悩んでしまう。中学校で習ったratherの意味「むしろ~」が脳みそのメモリーシステムに鎮座して想像力が働かない。「むしろ努力しながら死んだほうがいい」みたいな直訳をすると、どういう努力をするのよ? ってなる。自己犠牲? 自己達成? 奉仕? 禅修行? それに「むしろ」という言葉には選択を迫られているようにも、「どうせ死ぬなら」という諦観っぽい「悟りを得ました」もどきのニュアンスがあるような気もして、何かが微妙に違うのだ。
 トム・ペティが語った言葉なのだから、トム・ペティらしさを反映したい。
 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズは、ここ10年ほどずっと聴いてきた。ライブにも二回行った。ドキュメンタリーとライブのDVDも何度も観た。
 フロリダ出身のトム・ペティは、友人たちとミュージシャンになる夢を抱いてロサンジェルスに移り、紆余曲折を得てミュージシャンとして成功してからは、レコードレーベルの営利主義に真っ向から異議を唱える主張、行動をとってきた。私にとって、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの音楽は、ブルース、カントリー、エルビス・プレスリーの延長線上にある。ライブは開放的で、聴衆は老いも若きも好きな曲が始まると一緒に歌う。そんなトム・ペティに抱く私の印象は、トム・ペティ=個人主義のアメリカだ。個人主義に限らず、「主義」というものには、それぞれ長所短所があると思うけれど、ここでの意味は、よい意味での個人主義。個人の自由を獲得するためには、はっきりと自己主張し、それに伴う責任も自分で負う。
 そういうわけで、I rather die trying は「現在進行形で死にたい」になった。今のところ、これ以上の訳は思い浮かばない。(自分のボキャブラリー不足は棚に上げておく)
 この文章をnoteにアップしようと思っていたら、明石家さんまが自分の座右の銘を「生きてるだけで丸儲け」から「わくわく死にたい」に変更したというインタビュー記事を見つけた。
共通してる――と思う。

R.I.P, Tom Petty.

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