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書の道、という話

ふだんの作品感想文とかはわりと楽しみながらも肩肘張っている、という自覚はある。思ったままの感想を投げることに注力しているしノルマなどもないため基本は気楽だが、それでも『自分の好きになったところを共有したい』という願望が含まれるため一定の緊張感みたいなものは否定できない。

こんな話から始めるからにはそうでない話をするよ、ということで。つまるところ、賛同者も理解者もほぼほぼないと確信しているが故に極めて身勝手な雑語りをしたいからするだけだ。書こうと思ってる“積み感想文”や、紹介するよと言いながらやってない書物を尻目に書く落書き文章の甘美さたるや!試験前の部屋の掃除みたいなもんだよね、許してくれ未来の自分。



書道には小学2年生の頃に出会った。習い事として個人塾みたいな場所で書道を始めたが、今思ってもカスの塾だった。“とめ・はね・はらい”という基本中の基本すらまともに教えず(少なくとも教わった記憶がない)、よくわからん本に乗ってる段位を上げるだけのあの行為になんの意味があったのかと振り返ることもある。でもそこでガチガチの教育を受けず、自由気ままにやったからこそ、自由に書に向き合う楽しさの芽を育んだのかもしれない……とやや前向きに思うようになってきた。

その後は中学受験のために書道は小学5年生で終了し、中学では『さすがに運動しよう!』と思い立って入ったテニス部で不毛の3年間を過ごした。そこで自分が運動の中でも球技は壊滅的だという自覚を得てテニス部を退部し、一貫校であるためそのまま高校での部活をなんとなく考えていた。オタクとしての楽しさを覚え立ての時期でもあり、オタク生活を存分に満喫することを考えれば帰宅部でもなんの問題もなかったが、気付けば書道部の門を叩いていた。なんとなくの雑な学びで終えたくない、という思いもあったし中学2年間の担任が書道部顧問であったことも関係なくはないだろう。そうして入った書道部は、今思い返しても一番自由で楽しい部活動だった。


臨書、という言葉がある。優れた古典を真似して書く書道だ。書道、という言葉で一番イメージしやすい言葉だろう。古典は作品によるが中国のものが多い。中学や高校で書道選択をしていれば触れることになる領域だ。最初はいろいろ先輩などから面白さを教えてもらい、改めて書道というものにのめり込んでいくが……ここで自分の決定的な欠点を自覚することになった。即ち、『行書が苦手』という、致命的な認識だ。

別にどっちが優位とかはないけど、行書は書道の中心だ。古典の中でも最も優れたと言われ、行書といえばで出てくる王羲之の『蘭亭序』は臨書で誰もが必ず通る。

1行目から“春”とかいうカス漢字がある

1文字の中で完結する流れと、次の字に続く流れ。線の強弱はリズムのように調律を取り合い、意味も知らない文字列に美しさを宿していく。

そんな営みに自分も手を伸ばしてみて気付く。ある意味での自由度の高さというか、流れは自分には作れない!!褚遂良も顔真卿もむーりーー!!!!

書くことは純粋に楽しかったけど、それでも自分の至らなさが目に付きすぎてもどかしさを感じていた。そんな中、ついに書いてて一番楽しいものに気付いた。楷書だった。


最初の出会いは龍門二十品だったと思う。その中での異様な楷書の字体、造像記の魅力にどっぷりとハマっていく。


このゴリッゴリの硬さ、堪んないですよね

造像記とは“仏像を作る際にその発願者、製作の由来等を仏像の傍らに刻したもの”の総称だ。でも大切なのはそこじゃない、この文字群は“石板などに彫刻されてできた”字体だということだ。

先に上げた蘭亭序などももちろん、基本は紙に書かれたものだ。でも造像記は違う。書かれているのでなく、掘られている文字だ。そこには彫刻という技法が故に生まれた独特な楷書の特徴が存分にあらわれている。硬さを持った直線に、鋭さをもった入りと終わり。楷書、という表現の1つの極北だと思う。


牛橛造像記

石で掘られた直線や鋭さを筆で表現する面白さ、というものにハマってしまった。もちろん自分に才能があったわけでも、傑作を生み出せたわけでもない。それでも、不甲斐なさを突きつけられるだけに思えた行書や草書、かな文字なんかに比べて遥かに『下手の横好き』でいられたのは楷書、造像記だった。

造像記というだけでとにかく書いてみたり、楷書に慣れてきたところで九成宮醴泉銘に手を出したりしてみた。あの鋭さはあるも細さはない、綺麗な字体は中々にツワモノだったが、造像記を好きになり書いた経験は間違いなく役立っていた。ちなみに隷書は嫌いじゃないけど表現の統一ができなかったなぁ。

これもまた楷書の完成形の一つ、九成宮醴泉銘

最終的に一番書きまくったのは魏霊蔵造像銘だった。合宿で何度も何度も飽きるを通り越して書き続け、高校2年生のときに作り上げられたこれは自分の中の最高作であることは間違いない。あの時に書道に持ってる青春は全部注ぎ込めるだけつぎ込んだ、と思える。拙さもある、反省もある、それでも自分は納得できたし満足できた。くだらない過去の栄光であることは十分承知の上で、それでもあの時にあの部活の一員としてこれを作り上げられたことの誇らしさの、その価値はずっと大切なまま変わりない。

本名は隠しました、許して


最終的には高校2年から3年に上がる年の書き初めで、部活動の作品としての功績は最後だったと思う。そこでは造像記でなくかなりオーソドックスな楷書で他の書道部員といい勝負ができるくらいのものを作り上げることができた。公的な結果としても、成田山全国競書大会、という書道の学生が参加する大会ではたぶん最大の展示で月輪賞だったかな。ちなみにこれ、『にちりん』でなく『がちりん』って読む。いい響きだよねがちりん、こんな読み方知ったら厨二夢小説のオリジナル技にしたくなるよね。月光流奥義・月輪!


高校卒業からもう13年経った。あれから筆は殆ど握ってない。あれだけ拘っていた太い筆も、中濃の墨汁も、質がちょっといい半切も仕舞い込んだままだ。そんなことは、誰しもがよくあることなんだろう。

普段の生活でも書道が役立つかというとそこまでだ。筆とペン字はやっぱり違うし、俺は下手の横好きであったので綺麗に書こうとすると時間が犠牲になる。仕事中の書類や著名にそんな時間はない。たまーに綺麗に書く余裕があって、意外に字が綺麗だねと言われることがある程度のものだ。

それでも偶に、硯を出して……とまではいかなくても筆ペンを持ち出し、コピー用紙になんとなく思いついた文字を書き連ねたりしている。自分は弘法大師でないので筆も墨も紙も選ばなければ、全く書けない。筆ペンの柔らかさでは造像記の表現は尚更に難しい。あれは筆の硬さが必要だ。

徒然なるままに書いてみて、首をひねって書き直し、書きたい欲が満足したら丸めてゴミ箱だ。意味はないがそれでも良い。なんとなく書くだけで楽しいし、ただただ楽しかった思い出が蘇る。この意味もない行為を、きっと自分は一生のとあるごとに繰り返すんだろう。きっとそれでいいんだ、たとえ満足いく字が書けなくても。

今日もまたこのnoteを打ちながら筆ペンを握った。あいも変わらず繰り返す自慰のようなものだ。たまーに会心のものが奇跡的に出来上がって、Twitterにアップしたりするかもしれない。そういうときは生暖かい目で観て欲しいなと思う。