本多静六による,通称,赤松亡国論(我國地力の衰弱と赤松)

初出は,東京社 [編]『東洋學藝雜誌』17(230),東京社,1900-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3559188 (参照 2023-03-28)
本多静六「論説我國地力ノ衰弱ト赤松」
本稿は,本多静六 著『林政学』,博文館,明36.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/802641 (参照 2023-03-28)による

(我國地力の衰弱と赤松)
古の風流人が
 十八公榮霜後露 一千年色雪中深
 常盤なる松のみとりも春くれは
  今一しほの色增りけり
と詠じたるさしも目出度松の樹がいとも忌まはしき我國地方の衰弱...果ては亡國の徵たる所以を論述せざる可らざるに至ては科學は實に沒風流なるものかな。不幸我輩天下の山水を跋涉すること愈多くして又益々此の沒風流漢たらざるを得ざるものあり、悲しまざるべけんや。
抑も赤松の繁殖たる、實に土地利用法の不合理なるに因るものにして、國土の地力愈々衰頽するに從ひ漸く他の樹木を减じて益々赤松の增加を見るに至るべしとは已に泰西林學者の稱道する所にして决して余輩の創說にあらず、而も今日の學理と實際は彌々其確實なるを證するものなり。由來樹木の種類は之を分ちて二類となすを得、一は枝葉が他の陰翳に堪へ得る性質を有するものにして之を陰樹と稱し、老年に至る迄密に欝閉せる林相を呈し能く土地の乾燥を防き地力保護の効あるものなり、而して他の一は所謂陽樹と稱するものにして其性質陰翳に堪へず好で陽光の直射せる裸出地を占領するも遂には其林相疎となり陽光及び風を地面に直到せしめ以て其地を乾燥せしめて地力を衰耗せしむるものなり。椈扁柏櫧樅の類は陰樹にして松樺枹其他多くの落葉雑木は大抵陽樹なり、就中赤松は陽樹の最も著しきものにして天然原生林の如き陰樹の森林中に於ては其勢力甚だ微弱、僅かに岩角峰頭等他樹の成長する能はざる磽确の地を領するに過ぎざるも人間の作用によりて原生林を伐採若しくは燃燒し、屢々其地面を裸出するか、或は森林の取扱其當を得ずして漸く地力の衰頽するや忽ちにして其地を占領するに至るものなり。即ち赤松は其地力豐饒なる間は其地固有の陰樹に抵抗すること能はざるも、漸く地力衰頽するに至れば其養分を要すること少くして盛に成長し得るの性質は赤松をして直に固有樹種に代りて其地を占領せしむるに至るものなり。
盖し東京以南の本州並に四國九州の原生林は今日斧斤の入ざる神社佛閣の森林に見る如き櫧椎其他常綠濶葉樹の陰樹林なりしが、濫伐野火の害漸く加はり此等固有の樹種漸く消滅に歸し、之より稍々陽樹に近き枹櫟類の雑木林に變じたるものなりしに、此等雜木林は櫧、椎類の如く常綠ならず春の初め秋の終り其葉を落せる間林內に陽光を通ずること多きを以て、櫧椎類の下には到底生育し能はざりし所の松も漸く此等落葉雜木林間に混生するに至りしものなり。殊に都市に近き雜木林の如きは毫も地力の保護を顧ることなく連年過度の落葉採集を爲すにより地力衰弱して林甚相だ疎となり林地乾燥せるを以て益々多く赤松の侵入に便ならしむ。抑も落葉を採集するは宛も肥料を施さずして農作を行ふと同じく地力の連年衰弱すべきや論を俟たざる所、而して學術上の試驗によれば年々落葉を採集するときは木材の產出に要する者より三倍多く地力を消費するものなり。東京附近の落葉雜木林に近時赤松の著しく增加するものあるは其實例なり。即ち此地方に於て今より六七十年前迄は赤松を睹ること甚だ稀少。唯僅かに觀賞用として家屋の附近に栽植するに過きず、林中に松苗を發見するときは喜で之を庭園に移植せるが如き狀態なりしとは古老舊記の證する所なりき、然るに今日其赤松が他を凌で繁殖するの速かなると實に驚くべきものあり初めに雜木七分赤松三分の森林も一度之を伐採すれば五分五分となり、二回目には雜木三分赤松七分の比例となり、之を姑くして全く赤松たらんとするの傾向あるを見る、實に斯如き不合理なる濫伐作業の結果は益々其地力を衰弱せしめ、最早落葉雜木林の繁殖をも困難ならしむるに至り、益赤松の侵入を盛ならしむ。加之其地力衰弱して林地の乾燥を來すや雜木林の成長極めて緩慢となり最早經濟上より考ふるも却て彼の乾燥せる瘠地に成長し易き所の赤松林に改むるの利なるを認むるに至り、遂に赤松の天然生を保護して雜木林を占領せしめ若くは人工によりては赤松を栽植するもの多きに至り、愈々赤松林の增加を見るものなり。要之東京以南の地に枹樺類の落葉雜木林を見るは此地に固有なる橘椎類の森林が巳に第一期の變化を經たるものにして、其雜木林の赤松林に代りつゝあるは當に第二期の變化にして、今日の如き地力維持に注意せざる所の林業殊に過度の落葉採集の事業にして改むることとなくんば今後益第二期の變化を盛にし、今日()雜木林は全く消滅して大抵赤松林となるに至るべきなり、彼の四國九州地方の低地、並に中國地方の森林の其便利なる部分が殆んど全く赤松林と變りたるは其實例なり。抑も赤松林の跛扈する不可なきが如しと雖ども然れどもこの赤松林たる長く之を單純の松林として存左せしむるときは、殊に其落葉を採集する如き塲合に於ては决して永く其地力を維持する能はず、林相漸く疎となり林地乾燥して地力愈々衰へ、終に最早赤松をも成育せしむること能はざるに至るべきなり。此際當さに來る可き第三期の林相變化は如何なる慘狀を呈すべきか彼の赤條々たる中國の諸山、殊に神戶岡山附近の諸山の如きは其地の開けたること早く、從て濫伐暴採の業早くより、行はれしにより、今日は已に第二期の變化を果して漸く第三期の慘狀を呈するもの多く、彼の再度山鐵拐ヶ峰の松樹の如き百數十年を經て尙且つ高さ身長に達せず、太さ腕大に至ること能はず、樹間復た落葉蘚苔の類を見る能はず、地面殆んど裸出して水源全く涸れ、降雨每に土砂を流出して下方の田圃を埋め、山骨愈々露はれて河底益々高く、洪水早魃の害瀕年增加するを賭る。第三期の變化や實に無慘なりと云ふべし。而も此地や決して元來の禿峰瘠土にあらず前世紀の森林は尙今日より甚だ豐饒なりしことは今日此等禿山土砂中より現はるゝ松の根株が僅がに六七十年生にして周圍數尺なるもの多きを以て證するに足るべし.况んや往古の原生林は決して此等の松林にもあらずして却て櫧、椎、樟其他の常綠濶葉樹林たりしこは、彼の再度神社其他殊に保護せられたる部分の森林が皆此等の常綠樹なるを以て之を證するに足るべきなり。林相の變換して遂に禿峰砂漠となるの順序果して以上の如くなりとせば、赤松林の跋扈は決して輕々看過すべきものにあらずして實に國家の爲めに大に注意せざるべからざるものなり。而して今日我國赤松林の增加しつゝあるは啻に東京以南の地に限るにあらず。却て漸く全國土を占領せんとするの傾あり、警めざるべけんや、實に我輩が實際の調査によれば我國の赤松は已に四國九州及び本州の南半を占領せし餘勢を驅つて、早已に關東の平野を平げ、今や本道の東西兩海岸線と陸羽街道に沿ひ破竹の勢を以て奧羽地方に進撃しつゝあるものなり。而も此地力の領主たる椈林は赤松隊の急先鋒たる濫伐野火の攻撃に支ふる能はず、脆くも、平地を捨てゝ中央()脈の中腹以上に退き、僅かに險によりて其壘を保ち、遠く靑森の本營に連絡を通じ居る如き眞に危急存亡の狀態にして彼の陸羽街道に進みたる赤松の一隊が仙岩峠の東腹なる廣大なる平野に展開して一齊に椈隊を山頂に追跡する狀態の如き、實に其勢力の勇猛なるに驚くべきものあり、況んや本隊前哨已に靑森に進みたるの報あり、加ふるに一方日本海に沿ふて進みたる赤松も早く已に秋田大館を陷れ、今や有名なる碇ヶ關に肉薄せる狀况なれば本州底地の全部は遠からず赤松の爲めに全く占領せらるゝに至るなるべし彼の維新前迄は殆んと赤松を見るを得ざりし北海道の如きも海運の便によりて赤松軍は早くも五稜廊を占領し、今や漸く北海道南部の大部分を占領せんとするの傾きあるおや實に今日我國の狀態は南は四國九州より北は北海道の南半に至る國土の全部學げて赤松の爲めに占領せらるゝに至るべきものと云はざるべからず、豈痛歎に堪ふべけんや。
赤松の跋扈は獨り本邦のみ然るにあらず、歐洲諸邦亦其軌を同ふす、而も林政の發達して其保護の周到なるが爲めに未だ其害の甚だ多きに至らざるのみ即ち獨逸東海岸地方の如き往時は椈楓楢等の盛に繁茂せん所な利子が今や殆んど赤松のみなり、ニユルンベルク及びライン地方の如きも今より二百年前迄は巨大の松樹欝叢たりしが、地力漸く衰弱して今や百年生の松樹にして太さ僅かに人腕に及ばざるに至れりと云ふ。而して第三期の末路として最も慘狀を呈するものは伊太利の、シヽリー島なりとす。同島は由來地肥へ氣温に小麥の名產地として所謂伊國の穀倉と稱せられし處なりしが、林政荒廢せる結果最早赤松も繁殖すること能はざるに至り、土地乾燥して地力大に衰へ晴天には早魃の害を蒙り降雨には土砂流出して麥田を埋め住民遂に其害に堪へず去て内地に移住するに至れり。又同國のチロール州の如きも已に第三期の害毒を蒙り百年以來耕地の三分の一は全く荒蕪地となり果てたりと云ふ。顧みて我國の狀態を見るに各種の陰樹多くは已に陽樹の雜木林に變じ、雜木林は漸く赤松の爲めに占領せられんとし、或は已に赤松の末路に達せるものあること前述せる如くなるに關はらず、林政奮はず林業亦其當を得ざるもの多く、更に益々其變化を急激ならしむる如きものあり、前記諸外國の慘狀に鑑み窈に國家の爲めに杞憂に堪へざるなり我輩が今日此論を草するもの豈敢て偶然ならんや、而して其之を救濟するの策は要するに赤松林の跋扈を制して陰樹林を養成するにあり、而も其計書方法の如きは別に造林學の講ずる所なるを以て、茲には只亦松の繁殖が決して古來風流子の稱する如く目出度現象にあらざるのみならず之れ我國地力の衰頽を證するものにして甚だ悲しむべきものなることを注意するに止まるべし。


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