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大人がキライだった私の話【DREAM日記#3】

\#2はコチラ/


中高生の時、
私は大人が嫌いで仕方ありませんでした。

特に教師。
いわゆる「熱血」な教師が苦手で、
生徒と無理やり距離を詰めては
友達のように接する様子を見ては
「心の中では生徒を見下しているんだ」
などと勝手に憶測を立て、
勝手に距離を置いていました。

「教師になったということは、
 自分より立場が弱い人たちを相手にすることで
 優越感を味わいたいんだ」
などという偏見もありました。

今となっては先生方とも和解し、
生徒のことをよく思ってくれていたことが
分かるのですが、当時はそんな調子で
視界に入る全ての大人を嫌っていました。

きっと私は、ナメられたくなかった、
下に見られたくなかった
んだと思います。

逆に大人たちをナメてやりたい、
そんな思いもあったのか
授業には一切耳を傾けず、
「あなたの授業聞かなくても勉強できますけど?」
みたいな態度を取ったりもしました。
なんて嫌味な生徒だったんでしょう

大人を嫌いだった1番の原因はやっぱり、
「自分たちを下に見ているのではないか」
という不信感や怒りだったと思います。

今でもたまに「この大人は私を見下してるな」
と勝手に思い、苛立つことがあります。

自分たちも、大人と対等に扱って欲しい。
自分たちも、一人前だと認めて欲しい。
そんな承認欲求。
可愛らしいものです。

だから私は、
大人が見ていない場で一所懸命でした。
勉強も、部活も、委員会も、留学も、外部活動も。
大人に負けたくなくて、むしろ、
何も持っていない大人たちよりも
優位な立場に立ってやろうと、頑張り続けました。

結果的に、卒業頃にはすっかり
「先生に認めてもらえた」と承認欲求が満たされ、
無事ひねくれずに大学進学することができました。

卒業後に先生にお会いした際も、
「桃果はトガってるよな!
 桃果ならどこででもやっていけるよ!」
と言われ、すっかり満足。
あの頃の反骨精神が嘘のようです。

私の反抗期を「個性」だと受け止めてくれた
先生にはもちろん感謝していますが、
それ以上に中高でたくさんトガってくれた
自分に感謝しています。

好きなものはとことん追求し、
嫌いなものははっきり嫌いだという。
そのクセが中高の頃からついていたことで
今でも私は自分の「個性」に
自信を持てている
のだと思うのです。

学生時代は、見守ってくれる大人がいます。
大人と言えども、みんな昔は学生だった。
同じような思いを経験し、
乗り越えてきた人たちです。

だからこそ、大人に甘えて、思いっきり反抗する。
自分らしさを表現し、個性を生きていく上で
そんな経験も若い時には必要なのかな
なんて思ったりします。

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