見出し画像

文学少女からPGになった自分の頭の中身について

他にも同じ経歴の方がいたらごめんあそばせ、もっと高スペックなCPU積んでたら話は別なんだろうけども、少なくとも私は、頭がおかしくなったと思っている。

「プログラミングは、適性がないとやっていけないよ」
入社前から社員に散々言われた台詞だが、なるほど納得。何度匙を投げようとしたことか。入社半年の苦しみが強烈に脳に焼き付いている。今でもまだ、あの時の苛立ちで脳裏がジリジリと燻っている。

もちろん、プログラミングを勉強したことだけが理由ではないだろう。社会人になった戸惑いや、学校とは違うやり方、会ったことのない種類の人、付き合い、関係性。生まれてこのかた、予感すらしたこともなかった障壁が、いきなり目の前に立ち塞がった。

その話は別の機会にするとして、プログラミングの話をしよう。

おかしくなったと言っても商店街を笑いながら裸で練り歩くような「おかしくなった」ではない(社会常識を十分に保っている自身もある)。どちらかというと、「頭の中身が書き換えられた」という方が正しい。研修中は文系的な考え方とコンピュータ的な考え方がごっちゃになって、毎日(文字通り)頭を抱えていた。

最新のAI事情はどうなっているのか、IT屋のくせに私は詳しくない。お恥ずかしい話、やっと腰を上げて勉強し始めたところだ。
知っていることといえば、人工知能は人間の仕事に取り変わろうとしているとあちこちで言われているということ。だが、研修時代に叩き込まれた大原則のせいで、あまり危機感がわかない。

コンピュータは言われたことを順番に行う。
コンピュータは言われていないことを実行しない。

当たり前の話に見えて、実は全然当たり前ではない。人間が持つ「暗黙の了解」を、コンピュータは全く理解してくれないからだ。

例えば「ドトールでコーヒーを買ってきて」とお願いした場合、人間なら場所とお金さえ渡せばどうにか買ってきてくれるだろう。
コンピュータは場所とお金だけでは足りない。行き方も教えなければならないし、到達するために行うアクションも教えておかなければならない。

例え話の続きをしよう。私とコンピュータが室内にいる場合、ドトールでコーヒーを買ってくるためには、まず家から出る必要がある。家から出るためには、立ち上がって、玄関まで歩き、靴を履き、ドアノブを回し、扉を押し開き、外に出て、扉を閉める必要がある。これだけでも面倒くさいと思ったなら、この一歩はまだまだ序の口。これからドトールに行き、ドトールでコーヒーを購入し、家まで帰ってきて、私にコーヒーを渡さなければならないのだから。

私は最初の1ヶ月、この感覚が全く身につかなかった。先輩や上司と会話すると、向こうは当たり前のように「ドトールに行く時、信号あるけどどうするの」「コーヒーが売り切れの場合は?」と聞いてくる。「そんなの知るか!」とちゃぶ台のひとつも返したくなるが、確かに考えないといけないところなので何も言い返せない。

さらにいえば、コンピュータが何か実行するためにはトリガーが必要だ。例えばWebサイトを見るためには、ブラウザ等でURLを叩く。叩くとコンピュータがサーバー側に情報を取りに行き、画面に表示する。Enterボタンを押さなければ、ブラウザは何も表示しない。
何を契機に、何を実行させるか。この考え方もなかなか身につかなかった。

身につかなかった感覚を、どうにか身につけていった結果が、今の私である。
ファイルがあれば、サイズと形式と名前が気になってしまう、今の私である。
文章を文章ではなく文字列と捉えてしまう、今の私である。
疲れている時に作ったタスクリストに、「1.玄関から出る」と書いていた、今の私である。

ここらで文系PGへの熱い風評被害ではないことを強調しておきたい。私が自分の頭がおかしくなったからと言って「PGはやめとけ」とは言わない。全然言わない。むしろ、上手くやっている人の方が多い。

そんな私の目下の課題は、文系の友人にどこまで、どうやってPythonを教えるか、である。
誰でもいいから、早くドラえもんを開発してくれ。そしたらきっと、PGすらも要らなくなる時代だから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?