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言葉がめんどくさくなる瞬間

「何撮ったんですか?」
「なんか、綺麗だったから」

銀座をブラブラした帰り道、ふと見た道路のネオンが美しくて、"パシャリ"。
隣を歩いていた後輩ちゃんが、目を丸くした。

そりゃそうだ、なんの前触れもなく隣を歩いていた知人が珍しくもなんともない道路の写真を撮ったんだから。何を撮ったのか尋ねたくなる気持ちも分かる。

「分かる」と言いながら、私は話を分かってない返答を返していた。私の中で1番正しい表現だった。しかし、「何を」という問いに答えていないので、不誠実な返答とも言える。

では、私は一体何を撮ったのかと考えてみる。
ネオンと車のバックライト、光を反射するビルと信号。黒い空、黒い道路、白い街灯。
でも、それらは主役ではない。付属品と言っても過言ではない。

いま目の前の「綺麗」を切り取りたかったのかというと、理由は後付けにすぎないと気づく。かといって「衝動」なんて言葉を使うのは、格好つけというものだ。

こういう時、言葉が面倒に感じてしまう。曲がりなりにも文筆の一端を担っている身としては、あってはならないことなのかもしれないが。

「なんか、綺麗だったから」

私にとって精一杯、感覚に誠実な言葉を言うしかないのであります。

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