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私が海外好きになった本当の理由。父の存在と「チョコチップクッキーが食べたい」というフレーズ

私は9月からイギリスで生活する。
長年の夢がようやく叶う。
今回は、なぜ私がここまで海外好きになったのかを書いていこうと思う。

初めてのアメリカへの海外研修

時は遡ること約15年前。高1になった頃だった。
私が通っていた高校は、高1になると3週間の海外研修があった。
アメリカかオーストラリアが選べて、希望者が多いと成績順+作文で選抜される。選抜され、応募する権利を取得できたら、いざ応募!という流れだった。

私は唯一英語は得意だったので自然と興味をそそられ(海外自体への興味は当然なかった。)「初海外で行くならアメリカでしょ!」と思い、アメリカに応募。案の定アメリカは定員オーバーで選抜試験が実施されたが、無事にパスすることができた。

人見知りがゆえに、突然の不安に襲われ大号泣した高1のとある夜

しかし、いざ申し込みとなった段階で突然の不安にかられ、行きたくないと言い出してリビングで泣いたのを覚えている。今では全く想像できない姿・・・。

元はと言えば、私は大の人見知りだった。
小2のときに一度転校を経験しているが、その時の恐怖感と不安感は今でも覚えている。
新しい人とコミュニケーションをとるのが苦手で、自分から話しかけにいくなんてとてもとてもハードルが高いものだった。(今でいうコミュ障というやつ。笑)
授業中も常に当てられないか不安だったし、学級委員などは到底やるタイプではない。とにかく目立たないよう、常に誰かの後ろに隠れていた。

そんなところから、言葉が通じない海外で、3週間もホストファミリーと過ごすことに直前になって不安を覚えたのだろう。
応募するか否かの段階で、「やっぱり嫌だから応募しなくてもいい?」と泣きながら父に尋ねた。すると、父はこう言った。
「この先海外経験は絶対必要だよ。だまされたと思って、旅行感覚でいいから行ってみなさい。」
嫌だと言っているのに、何度聞いてもその答えしか返ってこなかった。
私も抵抗するのに疲れたのか、しぶしぶ受け入れた。

そんなこんなで始まった海外研修だが、ホームスティ以外はクラスメイトや友達がいたので、それなりに楽しく過ごせた。
しかし学校が終わり、家に戻った瞬間、人見知り本領発揮。
最初のうちは食事と入浴以外、自分の部屋にこもりっきりだった。食事中も何言ってるのかわからず、ただ愛想笑いをするのみ。私は本当に何しにアメリカまで来ているだろうと高校生ながらに思っていた。

訪れた転機

そんなある日、転機が訪れた。

いつも通り夕食を食べ終え、自分の部屋に戻ろうとすると、ホストマザーが「何かデザートでも食べる?」と聞いてきた。
その日、私はアクティビティで疲れていたせいか、やけに甘いものが食べたい気分だった。よほど欲していたのか、気づいたら「チョコチップクッキーが食べたい・・・」と言っていた。


普段あまり話さない私がいきなり英語で言葉を発したものだから、ホストマザーもびっくりしたのだろう。
その直後に目を丸くして驚きながら、ホストマザーはこう言った。
「Your English is very good‼」
そう言いながら私を強くだきしめ、リビングへと招いてくれた。
「ちょうどみんなでテレビ見るからErikaも一緒にみよう!」
その場にいたホストファザーも娘も私に微笑みかけ、娘は私の隣に来ていろいろ話しかけてくれた。私が人見知りということもわかっていたのだろう。
突然の出来事すぎて、私には何が起こっているのかわからなかった。でも、単純に嬉しかった。

英語なのに私のことをわかってくれた。それも拙い英語なのに。ただチョコチップクッキーが食べたいと言っただけなのに、こんなにも喜んでくれた。ここではもっと自分を表現していいんだ。もっと自信をもっていいんだ。

周りの人や環境が自分自身を変えるきっかけとなる

「この先海外経験は絶対必要だよ。だまされたと思って、旅行感覚でいいから行ってみなさい。」
そう言ってくれた父。

「Your English is very good!‼」
そう言ってくれたホストマザー。

これらの言葉がなければ私はアメリカにいくことなんてなかったし、世界に興味を持つことなんてまずなかった。
大学は英文科に進んでいるが、この経験がなかったらきっと大学生活や今の生活も180度違うものとなっていただろう。自分では全く想像もつかないが、仮にドラえモンの道具があったら、高校生のときに海外研修に行かなかった人生バージョンを覗いてみたいものだ。

私は今でも父とホストマザーに感謝している。
そして今後もずっと感謝し続けるだろう。

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