ライフハックで消耗している

(おことわり:この記事に結論はありません。読んだらもやもやすると思います。忙しい方や時間を無駄にしたくない方は、読まないことをおすすめします)

堀正岳『ライフハック大全』を少しずつ読んでいる。

仕事を進めたり人生を良くするための小技が、これでもかと並んだ集大成である。良い本だと思う。

しかしここで一つ、白状したいことがある。

自分自身が、心理的に「生産性を高めること」に抵抗感や嫌悪感を感じている。

なぜだろう。

生産性のことを考えると不安になる

「ライフハック」「生産性」と名の付くを読んでると、どんどん心が不安定になってくる。

伊賀泰代『生産性』にいたっては、読んでもいないのに表紙を見る度に胃が痛くなる。
「生産性を上げろ!」「さっさと仕事をしろ!」という声が、頭の中で響く感じがする。

(感覚としては、ミヒャエル・エンデ『モモ』に出てくる、時間を銀行に預けさせようと迫ってくる「時間どろぼう」に、ひっそりと追われている気分に近い)

自分が長らく抱えていたうつ病の「底」の時期に比べると、だいぶエネルギーは回復してきた。それでも「生産性」という言葉に触れる度にメンタルを削られる。

これはまったく非合理的な話である。パブロフの犬と同じで、梅干しを見て唾液が出るのと同じ原理だろう。

「頑張ったのに全く意味がなかった」に対する恐怖

あえて言葉にするなら、次のような言葉になるだろう。

* 生産性を上げすぎたら、理由は分からないけど何か「良くないことが起こる」気がしてしまう
* 生産性を上げることで、自分の人格や自分にとっての「大切なもの」が壊れそうな気がする

「今まで意味があると思っていたことが、実は意味がなかった」と思わされることが辛い。そういう恐怖心があるのかもしれない。

具体的なライフハックを挙げてみる。これらは個人的にストレスや不安感を感じるライフハックである。

「メールを返信する際に1行、多くて3行で返事ができないか試してみます」(『ライフハック大全』p.33)
「書類やスライドは半分に。「不完全」でよしとする」(同 p.54)
「文章を音声入力で書く」(同 p.61)

理屈では分かっている。

こういうライフハックを駆使しないと、また過去のようにメンタルがやられる。
時間を短縮しないと、お金がもらえないまま疲れるだけだ。

しかし長年の価値観を変えることは難しい。

「人には丁寧に接しなければならない」という自分の道徳に反する。
たとえ相手が失礼な輩であっても、丁寧にスマートに追い返したいのが自分のこだわりである。

メールは、きちんと心を込めて書かないといけない、と未だに思ってしまう。
慣れた相手にはテンプレで書けるけど、はじめてメールを送る相手に1分で書くなんて無理だ。

ライフハックとうつ病

そういえば、僕がうつ病に突進していた大学研究室時代は、ライフハックにのめり込んだ時期であった。

無理難題が山のようにあって、それを「全てこなさなければならない」と信じていた時代。

(ライフハックの教えには「重要でないことは、やらないと決める」というのもある。今はある程度できるようになったが、今でも苦手なタイプの決断である)

試行錯誤してやろうとしたけど、付け焼き刃のライフハックを色々試したけど、結局うつ病でドクターストップになった。

たぶん、ライフハックに関して根本的な勘違いがあったのだと思う。

何が悪いのか、どうしたらいいのか

少なくとも、『ライフハック大全』の全てをやる必要はない。たぶん著者もそういう意図で列挙していると思う。

また同書は「自分にとって意味のあることや、大切な人と過ごす時間を大切する」ことまでは否定していない(たぶん推奨している)。その時間を大切にするために、優先順位を付けて重要じゃない仕事を効率化しよう、という意図であろう。

おそらく、「常識」「当たり前」「礼儀」という社会規範を、僕自身の価値として内面化しているのだと思う。

長年の考察と内省の結果、ロジックとしてそれを客観視することはできたと思う。
しかし、自分にインストールされた価値観自体は、相変わらず自分にこびりついて自分を苦しめている。

なんでだろうか。結局分からなかった。

藤原 惟

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