日常

ブラウザの自動入力機能というものがある。IDとパスワードを勝手に覚えてくれて1クリックで打ち込んでくれる便利な代物で、Microsoft Edgeなら適当なランダムパスワードを生成する機能だってある。デバイス間で共有されるので、一々パソコンで作ったアカウントのパスワードをスマホで再入力する必要はない。だが、なぜか存在しないアカウントを記録していてここにログインするのに難儀してしまった。ログインに失敗した際にその記録情報を自動抹消してくれると、管理の手間が省けて助かるのだが。現代の技術ならそう難しいことでもあるまい、けれど自分では作ろうとはしない程度には億劫でもある。

萎えている。USB Type-Cのケーブル端子が折れてしまったからだ。充電しているiPadを机から落としてしまった。幸いにもiPad側の端子は無事だったが、また余計な出費をしなければならないのかとゲンナリすると共に自分の不注意さに辟易する。ノートPCの充電にも使っていたからPower Delivery対応である必要があるが、対応ケーブルが高い。伝送速度は2.0相当で構わないのだけれど、それでも1390円…。1390円は、マック2食分に相当する。学食なら3食分だ。萎えている…。

人間は見たいものだけを見て、聴きたいものだけを聴く。この物言いは実に陳腐であるが、真理である。ところか聴覚というのは実に厄介だ。人間は視覚から大半の情報を得ると言うが、目を逸らしたり閉じたりすることによって視覚情報は比較的容易に制御可能である。一方、音というのは所詮は空気の振動に過ぎないので、聴きたくない音を完全に防ぐ方法はない。耳を塞いでも、手の遮音性なんてたかが知れている。どうも聴覚の働きが心の働きの乱れを生み出しているように思われる。さらに言語と音は密接に関わりあっている。邪な考えが音となって現れ概念として心に住み着き、心をざわめかせ乱すのである。こういう高尚な事を考えなくても、就寝中にノイズが鼓膜を襲えば誰だって不機嫌になるであろう。で、何が言いたいのかというと、次の住居は静かな環境を重視しようと思っているということだ。

睡眠欲は三大欲求などと言われるように人間の基本的な生理的欲求である。眠いまたは眠くなるから布団を被って目を閉じる。どこかのサイトで264時間不眠実験を行ったという記事を見たが、人間は発狂しても所詮10日程度しか起きていられないのである。睡眠それ自体で得られるものはなく、起きている時の疲労をどうにか取るために寝ているに過ぎない。疲労という概念さえ無ければ人類は眠らなかっただろうと思う。床に就いてからしばらくして目が覚めて生を実感する。かつてこのまま目が覚めないことを祈りながら眠りに落ちた日々があったが、今にして覚えばそれは羊を数える程度の意味しか持っていない。むしろ生を一番実感している時は眠っている時なのかもしれない、睡眠は一種の仮死状態であるにもかかわらず。我々は生きるために寝ているのだ。眠ることと死ぬことにそう大差は無い。意識は制御し得ない夢の中に引きずり込まれていて、その中での行動は現実世界に一切影響を与えない。つまり、死にたくなったら寝てしまうのが一番。良い寝具が欲しい。


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