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学会体験記 in 北海道登別

現在の時刻、19時51分。明日かと思ってその日に書けばいいやと思ってたんです…。「期限設けないと書けない人のための Advent Calendar 2022」18日目の記事です…。
第45回情報理論とその応用シンポジウム(SITA 2022)参加のために北海道登別に行ってきた、という話です。別にボクの発表がどうたらとか書きません。おもんないし。

Introduction

コロナ禍の初め頃はすべての学会がZoomを用いたオンラインで開催されていた。大層な準備が不要で気楽(特に学生にとっては!)というのは結構なだが、実質的な会場は我が部屋であるから張り合いが無い。極端なことを言ってしまえば、スライドを写しながら横に原稿を用意しておいて読み上げていればそれで発表が終わる。聴講も含め数回経験してそのように思った。
 SITA 2021は久しぶりに(ボクにとっては初めての)現地開催であった。しかし、兵庫に行くとはいえ、開催地が関西学院大学であったから、あくまで出張の面が強かった覚えがある。広島の人がやっていた店のお好み焼きは美味しかったけれど。
 SITA 2022は北海道登別市の温泉街のホテルで行われることになった。過去の開催地を見ると、観光地のホテルで開催する例年のスタイルにようやく戻れたと言えよう。本稿は、SITA 2022に参加した際の登別体験を赴くままに記すものである。

Pre-Departure (11/28)

 この日は平日だった。単位も出ない授業にわざわざ出席して量子計算の講義を聴くとは、我ながら殊勝なことである。その後研究室でダラダラした後、荷物を詰めて成田空港へ中央線と高速バスで向かった。
 とりあえずスーツが無いと話にならないのでキャリーケースに入れるわけであるが、入らない(図1)。それもそのはず、このキャリーケースは機内持ち込みできるほどに小さく、スーツを入れることが想定されていない。肌着とシャツだけ変えれば良いというのがスーツを持っていく最たる理由なのだが…二つ折りにしても入らなかったので諦めて三つ折りにして難を逃れた。

図1 "スーツ"ケース(笑)

 学会は4日間だな、最終日は帰路に就くから私服でいいな、シャツを3枚持っていけば良いなと聡明な自分は思い込んでいた。(『私服-スーツ-スーツ-スーツ-私服』)しかしこれが災いした。考えてみれば前泊も含めて5日間あるわけであるから、肌着は少なくとも5セット持っていかなければならない。コインランドリーなんてものは温泉街ならびに旅館に存在しないことは前々から知っていたはずだ。2日分不足した肌着はどうしたか?…それはその日のセクションで綴ろう。
 とりあえず、パソコンやらiPadやら必要なものを詰めた後、中央線で東京駅まで行きバスで成田空港まで向かった。夕暮れ時に態々成田に用がある者は少ないのか、乗客数も少なかった。一つだけ不満があるとすれば、充電ポートがType-Aであったということか。今のiPhoneに付属するケーブルもType-Cなのだから現代化に尽力してほしいところではあるが。ま、ノートPC・iPad・スマホ・イヤホン全ての充電をケーブル1本で済ませようとするのが悪いのかもしれないが(笑)

Pre-Lodging (11/28)

成田空港(図2)に到着したのが午後6時半。チェックインを済ませた後、ちょうど夕食時だったから第3ターミナルのフードコートに行って牛タン(図3)を食べた。2000円前後だったと思う。フードコート飯にしては美味しかったが、空港価格と言うべきか、量の割には高いという印象を拭えなかった。自腹でホテル取って全国旅行支援を使ったので食費としてはほぼ0円で、懐は別に痛まなかったから良しとしよう。

図2 成田空港
図3 「仙臺たんや 利久」の定食

 そしてカプセルホテル(図4)に入り、シャワーを浴び歯を磨いて寝た…いや眠れなかった。カプセルホテルと言えば大学受験の時にも荻窪のところで利用したが、やはり眠れなかった記憶がある。個室で、プライバシーが守られることが睡眠の必要条件であるということを改めて確信した。

図4 成田のカプセルホテル

Departure and Arrive (11/29)

結局一睡もできなかったので、5時半に再びシャワーを浴びて歯を磨き、スーツに着替えて第3ターミナルで待機。搭乗ゲートに向かえるのは6時からだったので、すぐにキャリーケースを預けて搭乗ゲート前に。キャリーケースは8kgかそこらだったと思う。まあ着替えしか入っていないしね。
 そういえばなぜ羽田ではなく成田なのかというと、一度はLCCを使ってみたいという邪な理由からである。こういうどうでもいいチャレンジ精神を有用に使うべきであると感じてはいる。
 出発は8時、到着は9時、およそ1時間で着いた。東海道新幹線(ひかり)なら東京-静岡間に概ね相当する。帰省も新幹線なボクにとって飛行機というのは中々希少な体験であったが、LCC特有だからなのか、搭乗ゲートから飛行機まではバスを利用した。思い起こせば同様の目的でバスを利用したのは約4年前の北朝鮮の平壌空港が最後である。また北朝鮮に行きたい。

図5 ジェットスター

 新千歳空港に着いたは良いが、登別温泉へ行くバスにはまだまだ時間がある。そういうわけで空港内をブラつくことにしたし、コンセントがそこかしこにあったので適当に利用させてもらいつつ発表するスライドを手直ししたり何を喋るかを考えていた。
 バスに乗る前に昼食をとろうと思い、そばを食べた(図6)。うどんも良いが、流石に香川県には勝てまい。薬味がこれでもかと入っているが、そば自体は薄味だったので案外相性が良かったのかもしれない。ちなみに1000円である。やや高いが、空港価格と考えれば安く感じてくるのではなかろうか。

図6 「一灯庵」鬼おろし

Conference

Day 1 (11/29)

バスに乗って登別温泉に到着。学会の会場は「登別万世閣」(図7,8)である。この日は基調講演で、特に誰それの成果発表があるわけではなかった。先生方が普段やっておられる研究の紹介とまとめるのが良かろう。その後は一旦休憩を挟んでレセプション。缶ビールと缶チューハイを片手に、留学生2人と他愛もない雑談をした。大丈夫、2本くらいじゃ酔わないから…。

図7 登別万世閣
図8 会場

Day 2 (11/30)

2日目は特に語ることはない(!)。あえてここに書く内容はそれほどないからだ。来年度インターンでお世話になる予定の方の発表を聞いたくらいであろうか。とにかく、インターンを円滑に行えるよう諸々を事前に学んでおく必要があろうと、そう思った一日だった。

Day 3 (12/1)

ボクの発表はこの日の午後にあった。午前は学生の発表を聞いていたが、自分の研究と近い発表があったのが印象に残った。ある定理をまたその人も使っていた。それから研究室の同期の話を聞いて、しょうもない質問を何個か投げた後、1階のロビーでやはり発表の準備をしていた。
 発表は以下の方式で行った。プロジェクタからHDMIケーブルが伸びていたが、そこにUSB Type-Cのドッキングステーションをかまし、iPad Proに繋いでPDFスライドを写すという手法を取った。理由の一つとして、パソコンに別のスライド、もったいぶらずに言えばカンペ、を表示させておきたかったからである。iPadスタンド持ってないしね。
 発表は17分であったが、17分20秒とまあ悪くない時間調整で終えられたと思う。質問は想定していたものを6個か7個くらい用意していたが、すべて外してしまった。まあ所詮素人が考えていることなんてわざわざ聞くまでもないということであろう。研究の根本を聞かれて焦るも、逆に言えば新たな課題が見つかってその点では良かったと思っている。
 その後は懇親会があった。

Day 4 (12/2)

ボクの誕生日だった。学会そのものは1セクションで終わって昼には空港に戻った。飛行機に乗る前に、先生と同期の3人で海老そば(図9)を食べた。後で知ったのだが、ちなみに東京にも店を出しているらしい。先生の奢りだった。ゴチになりました。

図9 「えびそば一幻」えびみそ

Hotel

泊まったホテルは学会会場の登別万世閣ではない。そこから7分歩いたところの「第一滝本館」(図10)である。随分とご立派なホテルで、登別温泉を代表する宿と言えるだろう。本来はその別館にあたる滝本インというビジネスホテルを利用する予定であったが、改装工事ゆえ本館の同等の部屋に割り当てられたということらしい。

図10 第一滝本館

 居室の様子は悪くない。一般的なビジネスホテルよりは広く、学会参加をやり過ごすには快適だった。ベッドの品質も良く、良く眠れた。ただ一つだけ不満だったのはWi-Fiの電波があまりに弱かったことである。結局携帯回線を使う他なかった。まあいつもデータ残量を持て余しているので苦ではないが。

図11 居室

 ここで不足した肌着はどうしたかを書いておこう。何のことはない、アメニティに石鹸があったので手洗いしただけである。コンビニで肌着くらい手軽に買えるものだが、どうせ一度しか使わないしそんな金はもったいない。洗って絞ってドライヤーで乾かすという惨めな作業を1日目の深夜に行った。
 第一滝本館の特徴は風呂(図12)における泉質の豊富さにあろう。5種類あるようで、とんでもなく広かった。温度はボクにとってはちょうど良かったが、ボクは熱いのが駄目なので他人にとっては温いかもしれない。奇しくも同期も同じホテルだったが、彼はそのように言っていた。ついでにプールも併設されていたが流石に泳ぎはしなかった。その代わり毎回1時間程度は入ってゆっくりしたものである。
 ちなみに露天風呂では飲酒ができる。ボクは日本酒を飲んだが、同期はオレンジジュースであった。

図12 大浴場(出典: https://takimotokan.co.jp/ja/spa/

Food

観光地はどれだけ浪費したかによって満足度が決まる。資本主義とはそういうものである。そういうわけで、金に物を言わせて飯を食べることにした。
 2日目は鴨南蛮(図13)を食べた。ちなみに鴨南蛮は日本橋、すなわち東京が発祥の地である。それはともかく、そこそこ寒い時期に温かい蕎麦を食べるのは悪くない選択だったと思い返して思う。ちなみに、ここの店にはテレビ以外だと韓国語が良く聞こえた。すなわち韓国人が来店していたわけであるが、このような個人で切り盛りしているような蕎麦屋に外国人が来るんだなと不思議に思った。ガイドブックか何かで紹介されていたのだろうか。気になる。

図13 「そば処 福庵」鴨南蛮

 3日目は刺身(図14)と海鮮丼(図15)を食べた。なるほど観光地価格である(高い)。しかし鮮度は良く、量もそこそこあったので結果として満足。腹一杯になって発表に臨めたと言える。

図14 「温泉市場」お刺身5点盛り
図15 「温泉市場」10色前浜丼

 学会の懇親会では会席料理(図16)が出された。いや、料理なんてどうでも良かったのかもしれない。目的は飲酒である。ビールや日本酒をラッパ飲みした。もちろん酔った。吐きはしなかったが。その程度の分別はあるものである。酔った状態で坂を上るのは体力を消費し、この日は風呂に入らずに歯磨きだけしてすぐ眠った。早朝に起きて洗髪などを済ませて(やや二日酔いの状態で)最終日に挑んだ。

図16 懇親会の会席料理

Sightseeing

正直、期間中は学会会場に缶詰めだったのでそんなに観光する余裕が無かった…。クマ牧場に行けなかったしね。
 登別といえば地獄谷(図17,18)が有名であり、絶景スポットである。昼休みの合間を縫って入り口付近だけ行ってみた。なるほど確かに壮観であるが、絶賛するほどでもない。ボクは景色として緑の方が好きなのかもしれない。例えば2017年の夏に行った富山県の閑乗寺公園(図19、ゆるゆりの聖地)で見た景色はまさに絶景と言っても良かろう。こういう景色が好きだ。

図17 登別地獄谷の看板
図18 登別地獄谷
図19 閑乗寺公園

Conclusion

学会参加自体の経験は何回かあるし去年だって兵庫に行ったものだが、やはり観光地となると幾分リラックスした状態で聴講することができたし、発表に関してもまあ悪くはなかったんじゃないかと高めに自己評価しても差し支えないと思う。総評して、学会的な意味でも観光的な意味でも満足した出張であった。
 一方で心残りな点がいくつかある。先述の通り登別のメイン観光地たるクマ牧場へ行けなかったこと、食事に関しても寿司を食べなかったことは大変残念である。寿司は懇親会で4貫ほど出ていたが寿司欲を満たすには不十分と言わざるを得ない。
 あと、今回はそばをよく食べたような気がするのでバランスを取るために今度はうどんを食べなければならない。うどんなんていつでもどこでも食べられるが、やはり香川県に出向いて丼と箸を持ち込んでかけうどんを食べておくべきであろう。思い立ったが吉日、とは行かず修論もありそこそこ忙しい。行くとすれば3月頃になるだろうが、敬愛する岸田文雄同志はその時まで全国旅行支援を継続してくださるかどうか注目したい。継続すれば低迷している支持率も回復するであろうと思う。

Appendix A

その次の日(12月3日)、原神シンフォニーがあったので見に(聴きに?)行きました(図20)。もうホントに東京フィルハーモニー交響楽団凄い、陈宇鹏凄いってね、また一つ確信させていただきました☆

図20 原神シンフォニー




Appendix B

学会参加を通じて思ったことをダラダラ書くセクション
 ボクもいい歳だし狭い分野をずっと勉強(研究)してきているから、発表原稿を読んで通り一遍の理解はできるが、隣の芝生は青いと言うべきか、他人の研究が高尚かつ高度なものに見えるものである。逆の立場から見てみると、長いこと自身の研究に付き合っているから、このようなものは学部3年でも理解できるだろうと思い込んでいざ説明してみると難解であったとコメントされる、こういった経験は1度や2度ではない。
 ボクは博士後期課程に進学する。ISCEDの最高点に達しようとしているのだが、その選択は果たして正しかっただろうか。自分の人生を破滅に追いやりたいという衝動に駆られることは多々あれど、この進学こそ最たる要因になり得るのではなかろうかと思うことさえある。それでもなお淡い期待、すなわち自分は平穏に生涯を遂げられるのではないかという期待を捨て去ることができずにいる。その確率は非常に小さいものであるにも関わらずその事象が発生することを期待して生き長らえている。当選を夢見て宝くじを買うのと同じである。その期待を裏切られたら?絶たれたとしたら?このようなタラレバでさえ無意味である。その事象に価値を見出しているからこそボクは生きている、生かされていると言える。


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