見出し画像

園城寺(おんじょうじ)

滋賀県大津市園城寺町246
(別称:三井寺)

山号:長等山

宗派:天台寺門宗 総本山

御本尊:弥勒菩薩

画像1

縁起:7世紀に大友氏の氏寺として草創されたとあります。
大津京を造営した天智天皇が、念持仏の弥勒菩薩を本尊とする寺を建立しようとして果たせず、後を継いだ弘文天皇も壬申の乱によって早逝しました。
弘文天皇の息子、大友与多王が祖父と父の菩提を弔う為に寺を建立。
朱鳥元年(686)、天武天皇が建立を正式に許可し、「園城寺」の寺号を与えます。

ここで注目したいのが、天武天皇の許可が下りたのが、朱鳥元年だというところです。
天武天皇が発病し、病が篤くなったのがまさに朱鳥元年でした。
そもそも朱鳥に改元したのは、天武天皇の病が癒えるようにとの願いが込められていたのです。

壬申の乱で敗れ去った弘文天皇は、それまで正式には祀られていませんでしたが、息子の与多王に園城寺の建立を命じたのは、乱の勝者である天武天皇その人ではなかったでしょうか。

こういった例は古代にもありました。
崇神天皇の御代に疫病が蔓延し、天皇の夢の中で大物主神が現れ、子孫の太田田根子に自分を祀らせれば疫病を鎮めようとのお告げがありました。崇神天皇がその通りにしたところ、疫病は鎮まり平和を取り戻したのです。

子孫の祀りが絶えるのは、中国でも最も忌むことであり、天武天皇もその思想に倣ったと思われます。

画像2

中興の祖は智証大師円珍です。
園城寺では寺を代表する僧を「長吏(ちょうり)」と呼び、貞観元年(859)初代長吏に円珍が就任しました。加えて貞観10年(868)には比叡山の天台座主に就任。その後24年間、円珍はその地位に君臨します。

園城寺と比叡山は密接な関係にあり、平安時代の古典文学で、何も注釈を付けずに「寺」と書かれる場合、園城寺のことを指します。
ちなみに「山」と書かれていれば、比叡山を指すようです。

画像3

円珍の没後、比叡山を「山門」、園城寺を「寺門」と称するようになり、両者の対立は長い間続きます。
園城寺も何度にも渡って焼き討ちに遭い、その度に復活することから、「不死鳥の寺」とも呼ばれます。

***

画像4

観音堂の御本尊は如意輪観世音菩薩。
西国三十三所観音霊場の第14番札所です。

画像5

近江八景のひとつ、「三井の晩鐘」も、よく知られています。

画像6

三重塔は鎌倉時代末期から室町時代初期の建築と伝えられており、重要文化財となっています。
一層目の須弥壇には、木造釈迦三尊像が安置されています。
気品あふれる佇まいです。

画像7

一切経蔵の中部中央にある八角系の輪蔵。

画像8

展望台からは琵琶湖が一望できます。

***

画像9

とにかく敷地が広く、1日では回り切れないほど見所満載のお寺でした。
昔はこれよりも敷地が大きかったらしく、弘文天皇陵も境内の中にあったそうです。
歴史を感じつつ、じっくり時間をかけて回りたいです。

【追記】
園城寺にお参りする前に、弘文天皇陵にも是非訪れてみてください。
歴史がより身近に感じられると思います。

画像10


楽しいお勉強カフェを作りたい!