内観に行ってきた記録



せっかくなので、まとめてみました。
妄信的にこれ良いよ!みんなやりなよ!っていう記事ではなくて、単なる記録です




集中内観に行ってきました。

今回ご縁があって、集中内観に行ってきました。
お邪魔した先は、栃木県の「瞑想の森内観研修所(http://www.naikanhou.com/)」という場所です。
非常に素晴らしい時間を過ごさせていただいたので、記憶の新しいうちに記録をしておこうと思います。


仕事をやめました。

11年続けた教員の仕事を辞めました。前々から「教員だけが私の人生ではない」という思いや「私は現場の人間ではないかなあ・・・」という思いがあったので、近いうちにおこるであろう公務員の副業解禁に向けて、Webスキル獲得など、準備を進めていたのは事実ですが、こんな形で辞めるとは思いませんでした。
辞めるといっても、「非常勤講師+副業」みたいな形かな?
でも正規のままで続けられる方がいいな〜みたいに思ってて。
講師になったときに、業務に融通が効くように(公民科って需要の少ない科目なので)、情報や英語の免許習得をしていたくらいなので・・・(まあその一方で転職活動とかもしたりはしてました。)
あ、ちなみに英語は昨年、最後必要単位を習得しきれず(辞めたこととも関連するのですが)、まだ受講しています。いつか、また先生に戻れる日が来るかもしれないしね。

仕事を辞めた経緯はまたいつか、詳しくお話できる日が来ればとは思っています。今はまだ、整理できていないことも多く。ちなみに、決してネガティブな理由ではないです。うまく言語化できないという感じかな。
でも、今回の内観で「なぜ仕事をやめたのか?」という自分自身にも少し向き合えたと思います。


「内観」ってなんですか?

さて、本題に戻ります。今回、私がやってきた「内観」ですが、あまり一般に知られている・・・とは言い難いように思います。
というのも私も、「内観ってなに?」という状態だったから。

でも実は、「内観」という言葉だけは知っていました。心理学や哲学とかにはもともと興味があり(教えてたし)、本などでいろいろ勉強してたので、”聞いたことある”ワードのひとつでした。

この内観は『日本内観学会』『日本内観医学会』というものも組織としてあり、学術的にも研究されている心理療法などの分野に属するものです。
なので、心理学をしっかり勉強した方は、おそらく、「知っている」と思います。

ただ、実情として、そういう分野に精通されている方にとっても、専門でなければ、ほとんど理解されていないものでもあるようです。
実際に、心理学の修士号を取得している臨床心理士、公認心理師としている仕事をしている友人も、「聞いたことあるけど・・・」程度でした。

こんな感じ。
このあとのやりとりて、公認心理師のテキストの1ページを写真で送ってくれますが、バッチリ試験とかにも出る内容みたいです!(超勉強家の友人です。メモとかいっぱいしてあるページだった。すごいなあ)
ちなみに某大学で心理学の教鞭を執っている大学の先生でもこんなリアクションでした。

ちなみにこの方は、そのあとのやりとりで「やり返したはだめじゃんね」っておっしゃってました。笑

これ、内観から帰ってからのやりとりなのですが、正直な感想としては、そんなもんなのか・・・という感じです。長く取り組まれているもののような紹介を受けたし、学会もあるくらいだからメジャーなのかと。
でも、この大学の先生曰く、「日本独自の心理療法」ということらしいです。世界的ではないみたい。

でもこんな感じだから一般ピープルの私たちが知るわけないですよね。
ちなみに言えば、心理職は1つの療法を身につけるのに何十年もかかるので、ほかの療法には手を出せないので、ご自身の専門外だと、本当に教科書+αくらいまでしか知らない、ということをその大学の先生が教えてくれました。
どの世界も、極めるということはやはり大変なんですねえ・・・

さて、というわけで、では「内観」ってなんなんですか?というと・・・・

内観療法とは、本来修養法として開発された吉本伊信の内観法を医療、臨床心理的目的のために応用する心理療法(精神療法)です。

日本内観医学会HPより http://naikan-igaku.jp/

です。これだけだとよくわかんないですよね(笑)
あと多分、元々「身調べ」という浄土真宗の修行法に端を発してたり、「内観」で言葉自体が、外観⇔内観というように広い意味があったり、仏教用語として使われていたりするので、ちょっとスピリチュアル的な色が強く感じるので、懸念する人も多いことが、あまり広まらない要因の一つのように思います。
あと体験が気軽じゃない。体験してみてナンボだと思いますけど、基本的に内観は1週間、時間が必要といわれるので、そんな時間取るって結構大変ですよね。

1週間何するの?はまた後程ご紹介しますね。

実際、「1週間、内観に行ってくるね」と両親や恋人に伝えたら(連絡も取れなくなるので・・・)、「洗脳されないでね」「これ大丈夫?新興宗教の修行?」みたいな反応が返ってきました。(笑)

今だから言うけど、わたしも実は、体験するまではちょっと心配でした。(笑)

実際は、もちろんのこと宗教勧誘みたいなことはありませんし、そもそも宗教色は内観自体には無いです。
「身調べ」という浄土真宗の修行法が起源ですが、そこから宗教色を取り除いたものを創始者(吉本伊信)が開発し、そこから「内観」が始まったと説明を受けました。

ただ、内観の効果を信じている人(体験者)の中には、割とスピリチュアル的な人も一定数いると思います。
ちなみに、体験者の声をテープで聴かせていただく機会が内観中は多くあるのですが、感覚としては仏教とかよりキリスト者が多かったです(たまたまそういうテープだっただけだとも思いますが)。

※誤解のないように言いますが、私はスピリチュアル否定派ではありません。占いやタロットなども好きだし、イコン画(宗教画)とかも好きだし、「なにか科学的には説明できない」能力や現象については、現代の技術では解明できないことがある以上、信じる他ないとも思っています。
そして一方で、盲信的にそのようなものに縋ることも違うかな、とも。否定派が一定数いることも理解しているし、盲信的に信じる人々を経済的・精神的に搾取する犯罪が数多く起きているので、そうなってしまうのにも頷けます。
本来なら心の問題なはずだから、人にとやかく言われることではないし、人に良い悪いをジャッジされるものではないはずなのにね。(ここが一番だいじ)


そして1週間を体験してきた今の私には、内観を、スピリチュアル的に捉えてしまうのも、頷けます。
なぜなら、ここでの体験は、ちょっと超常的な「言葉で説明できない」体験だからです。
私自身も、体験しました。
幼い頃ならそのまま(すごーい!!)ってなって、スピリチュアルの世界に陥っていたと思いますし、心理、宗教、哲学、歴史・・・を社会科教員として学んできた経験があるのですぐに「神様・仏様」に置き換えずに捉えられていますが、でもそのくらい、圧倒的超常体験でした。

現在は、その体験に関して「なぜだろう?何が起こっているのだろう?」と非常に興味を持ってしまい、探究心旺盛な私の新たな探究ターゲットになりそうです。(たのしみ!)


「内観」でやること

わたしは今回、1週間の集中内観に参加しましたが、やったことはすごく、シンプルでした。

  • 屏風で仕切られた半畳ほどのスペースで座って過ごす

  • 1.5時間ごとくらいに面接をして、その間に考えたことや「観えた」ことを、面接者に報告する

  • 考える内容は、自分自身と他者との間の時間について。期間を年齢別に区切って、一人一人に焦点を当てて考える。

  • それぞれに対して「していただいたこと」「して返したこと」「ご迷惑をおかけしたこと」について、考える。

  • 上記のそれぞれを1:1:2くらいの比重で、特に「ご迷惑をおかけしたこと」に焦点を当てて、なるべく具体的に1つのエピソードを思い出しながら考える。

まあ、このくらいですかね。説明として。
ちょっとわかりづらいと思うので、図とか写真付きで説明されているページを貼り付けておきます。

私も、このページにあるような、半畳の襖の中で1週間過ごしました!
トイレ、風呂、寝るとき以外はここで生活します。
食事もお膳に入れて運ばれてくるので、この中で食べます。
ちなみに、スマホNG(もちろんPCも)・本や雑誌NGです。
情報を遮断することが目的らしいので、基本的に何も持たず(メモとかはしても良いらしいです)、ただ座ります。
あとは、面接者やお世話をしてくれる施設の方以外とは、基本話ができません。最初に、むやみに話さないように注意を受けます。

私の場合は、もう最初から人に会うことを目的としていない格好(ジャージ、すっぴんボサボサ)で過ごすことを決めていたので、話すどころか姿すら見せないように生活してましたけどね(笑)

まあ、一般的な俗世間の生活を過ごす私たちから考えれば、ありえないような生活を1週間するわけです。

行く前の心境としては、不安半分・嬉しさ半分。
普段、さまざまな情報の波に支配されていて、常々デジタルデトックスをしたい!という欲求はあったので、ある意味強制的に離される環境は、うれしかったです。
デジタルデトックスを完全にするのは、私にとって、普段の生活ではめちゃくちゃ困難でした。
自分でチャレンジしてみても、結局何するにも「調べて」しまうんですね、今の私は。
スマホを持たずに出かけたり、テレビをOFFしたりしてみますが、そこら中うにモニターがあって情報は流れてくるし、調べないと道もわからない・電車にも乗れないという情けない有様です。
なので、この期間、完全なデジタルデトックスができたことは、私にとって、非常に大きな意味がありました。

職場はもちろん、親や彼氏、普段からやり取りがあって迷惑をかけそうな人たちには伝えてから臨みましたが、全員に伝えられるわけではなく、基本的には「即レスポンス」をする私から1週間も連絡が来ない・・・何かあったんしゃ・・・?と多方面からずいぶん御心配をいただいたようでしたが・・・(笑)

一方で、耐えられるのだろうか・・・という不安はありました。
普段だらだらとスマホを見て過ごすし、基本的に常にPCやタブレットは持ち歩いているし、暇さえあれば読書・勉強・映画・・・というとにかく「情報」が大好きな(笑)わたしなので、1週間も禁欲生活なんで・・・・・という気持ちもありました。

実際はどうだったか?のご報告もしますね。


1週間の生活の報告(初日を主に)

1日目、14:00くらいに施設に到着しました。
明るい女性の方(たぶん所長の奥様)が栃木県の「氏家」駅まで迎えにきてくださり、車で施設まで連れて行って下さいました。
施設に向かうにつれて、どんどん山奥に入っていくので、ちょっと心配でしたが、身近に体験者がいたので「生きて帰れないかも」ほどは思っていません(笑)
車の中は明るく雑談して、ほぐしてくださいましたし、全然そんな雰囲気ではないです(笑)
でも全く知らずに、もし無言のまま行ったら、そのくらい思うかも?というくらい、不安でした。

着いたら、施設を軽く案内していただき、部屋で待機するように言われます。
放送で、内観に関する説明が1時間くらい?ありました。
・・・ちなみに、正直に白状すると、わたしこの間、畳で大の字で横になって寝ていたので、時間はあんまりわかりません(笑)
案内してくれた施設の方が、「リラックスして聞いてくださいね〜」「ちょっとうとうとしても大丈夫ですよ〜」「今の時間はこの環境に体を慣れさせてくださいね〜」なんていうものだから!(言い訳)
部屋自体は6畳くらいの和室を各個人に与えられて、夜はここに布団を敷いて寝ます。
コロナ以前は1人部屋3名までの定員だったそうですが、今は1人1部屋割り当てられているそうです。
大の字に横になった理由は、久しぶりの和室に、なんかホッとしてしまって。おばあちゃんの家に行ったような、そういう感じでした。

放送が終わった後、別の場所で、所長からお話をいただきました。
実際の内観のやり方とか、注意点とかを過ごし方についてがメインです。
放送と重複する部分もありますが、放送を聞いてもよくわからないことを目の前で見せてくれました。
ここで初めて屏風を立てて過ごすスペースの広さを目の前で見せられ、「狭!」って思いました。
私は小柄なので、半畳もあれば体を折れば横にもなれるし、足を伸ばして座ることも、あぐらをかいて座ることもできるので、まあ・・・実際にはそんなに窮屈ではないのですが、それでもまあ、狭かったですね。


30分くらいの説明が済んだら部屋に戻って内観スタートです。
「さ、では戻ったら始めましょう。」と言われ、屏風を立てて、早速座りました。

施設長からの説明で、「3〜4日は、内観にならない人がほとんどだ」ということを言われました。心理学的には4日の壁?とかなんだか呼ばれているらしいです。
その時は、あまり深く考えてなかったのですが、終わった後、この言葉の意味を深く理解することになります。

まあそんな感じで、なんとなくホワっと内観が始まりました。
時刻は16:30くらいでしたかね。

最初は、「母に対して、0〜3歳までの自分」について調べました。
ルール通りに、「していただいたこと」「してかえしたこと」「ご迷惑をおかけしたこと」を考えます。
正直この頃は、「0〜3歳なんで覚えているわけないじゃん!」とか思ってました(笑)
それでも一生懸命考えて17:30頃の1回目の面接で報告しました。
月並みの浅い言葉で、産んでもらったことへの感謝とか、そういうことを報告しました。

面接の時間は、スケジュール表みたいなものが渡されて、ざっくり全7回の面接の時間が示されていました。他に食事や起床就寝の時間など。
入浴の時間は1人ずつ順番に入るので、毎日指定されます。25分間だったかな。毎日、夕方の17時くらい前後の時間に入りました。

1回目の面接は無事に終わり、次の時間に入ります。
次は、「4〜6歳の母に対する自分」について調べました。
同じように、「していただいたこと」「してかえしたこと」「ご迷惑をおかけしたこと」を考えます。
「習い事に通わせてくれた」とかそういうことへの感謝を述べた気がします。

こんな感じで順々にやって、対象も母、父、祖母、上司・・・・・・・・といった感じでやっていきます。
2回目の面接の前に食事と入浴があり、夜に面接があってその日は終わりでした。

食事は、とても美味しいですし、基本的には内観だけしていればいいので、1週間の生活は結構快適でした。
黙ってれば美味しい食事が運ばれてきて、お風呂も沸かしてもらえるので指定の時間に入ればいいし、起きる時間・寝る時間も指定されているし、掃除も簡単な自分の周りの清掃しかしないので、本当に内観する以外は考える必要のない生活です。
お世話をしてくださった皆様には感謝しかありません。

夜は、21:00に就寝、
翌朝は6:00起床です。
超健康優良児生活(笑)

普段3〜4時間睡眠なので、寝れるかな・・・?って心配でしたが、初日はとってもぐっすり寝て、朝もスッキリ目覚めました。(笑)

朝は6:00に起きて、身支度整えて、布団片付けて、簡単な作業(身の回りの掃除)をして、内観スタートです。
6:30にはスタートせよ、ということでしたが、わたしは6:20くらいには屏風立てこもり生活を始めました。(隣にも内観をしている人がいて、廊下が共用だったので屏風に隠れた笑)
これを最終日まで繰り返すような日々です。

内観して、面接で報告して、食事して、内観して、報告して・・という。

食事の時間は、参考テープが放送で流れて、過去の体験者の話とか、施設の創業者の話とか、内観に関係する話を延々と聞かされるので、聞いているうちに、やっと「内観とはこういうものなのか」ということが分かりました。
体験者の話は、面接を収録したものが多かったのですが、心を揺さぶられるような経験の告白(いわば面接では人生の告白や懺悔をするので)が多くありました。
わたしは、研修所の創業者である柳田鶴声氏の「内観により何者にも支配されない自由自在な自分になる」という言葉が一番印象に残っています。
テープを聴きながら考えることも、結構多くありました。

時計を持っていくように持ち物にはかいてあるので(私はapple watchだったので相応しくないとのことでお借りしました)、時間の感覚は失いませんでした。
面接は1.5〜2時間間隔くらいですかね。


わたしに起きた心と体の変化や考えたことなど

さて、この1週間で私はちょっと不思議な体験をしたので、その経過を記憶の新しいうちに記録しておきます。
「3〜4日は、内観にならない人がほとんど」というのは、がっつり私にも当てはまりましたし、内観体験者の典型例である身体的変化についても、面白いほどバッチリ、私にも当てはまりました。

<1日目>
1日目は、先ほども書いたようにほとんどオリエンテーションのような感じだったので、あまり特筆することはないと思います。
でもとにかく全然内観には集中していなくて(笑)、屏風の中でいかに快適に過ごすか、ということを考えて、座り方の試行錯誤をしてみたり。
あとはお茶を用意してくださってポットから飲み放題なのですが、何杯目だな〜とか、トイレ何回目だな〜とかカウントしていました。
突然足のむくみが気になってマッサージしてみたり・・・
もう、本当に1日目は内観を「していない」レベルです。
夜は、本当にぐっすり寝ました。

<2・3日目>
2日目の朝はスッキリ目が覚めたのですが、いざ内観を始めると、なんかやたら眠い。あんなに寝たのに・・・なんて思って、でも一応座っていると、ウトウトし始めちゃったりして。
時計をみるとほんの1〜2分なんですけど、気がついてハッとするようなことは、2・3日目はよくありました。
それで、2日目の午前中くらいから、なんとなく頭が重たくなって、頭痛が始まりました。
なので、気分も最悪です。
頭は痛い・ぼーっとする・頭重い・・・なんて思っているうちに、体も重たいし、顔も体も浮腫むんでくるし・・・
あれ?体調悪いかな?微熱かな?というような感覚で、つらくてつらくて、屏風の中でうずくまってました(笑)

もう、内観どころではなかったんですけど、でも一応、面接の時間にはそれっぽいことを言ったりして、なんとかやり過ごす・・・みたいな生活をしていました。

あ、内観での面接では、特にフィードバックはありません。
「ただいまの時間、誰のいつに対する自分を調べましたか?」と丁寧に聞いてくださり、「ただいまの時間は・・・していただきましたことは・・・してお返ししましたことは・・・ご迷惑をおかけしたことは・・・」と報告するだけなんです。
面接時間も(もちろん内容次第ですけど)2、3分で済むのでとりあえずそれさえ過ぎれば、屏風の中にいるので見えませんので、ある意味自由です。
そんなマインドで、ただやり過ごしたのが3日目まででした。

2日目の夜は、なんだか座っていただけなはずのに、とてもとても疲労を感じ、割とすぐ寝ました。
もちろん1日目も、長時間の睡眠に体がなれなくて、何度か起きたりはしているんですけど、基本的にぐっすり寝れました。
一方で、3日目は、眠れはしたんですが、夢をたくさん見て、ハッとする体験を何度もしました。
今でも結構はっきり覚えているような、不思議な夢でした。

<4日目>
転換点に当たるかな?と個人的に感じたのが4日目です。
不思議な夢を見て、ハッと目を覚ますと同時に、起床の鐘が鳴りました。
起きてみると、頭痛はほとんどなく、スッキリしていて、体もなんだか軽い。あれ?となったのを覚えています。
昨日までの、ぼーっとしちゃいような感じとか、眠気とか、ほとんどありません。
うずくまってただけの屏風生活で、座って過ごすことができるようになりました。

これは、2日目くらいだったかな?の際に、参考テープの説明にあった身体的特徴とがっつり一致するんです。
いわゆる、「内観あるある」の症状のようなんですね。
・「大体の人が頭痛を訴える」
・「微熱が出たりする」
・「中には息苦しさを訴えたりする」
などの説明があり、「でも4日目くらいからよくなっていく」らしいんです。
実は研修所のトイレにも、”内観中に訴える身体的不調”などの説明がありましたが、その中にも頭痛などのことはありました。

それでもマインドは、まだ全然集中できてなくて(笑)
(次の面接何時だっけ?)(あと30分くらいでご飯だ!)(もうすぐ寝る時間だ!)くらいの感じで、ただただ時間が過ぎていくことを懇願していました。
もう、帰りたくて帰りたくて仕方なかったのが4日目です。

あと3日もあるのか・・・・・と、1日の中で何度も絶望していました(笑)

そしたら食事中の放送に、「さあ、4日目に入った皆さん、ここからが、本当の内観ですよ」「これからどんどん内観が深まりますからね」とか流れてきて・・・その言い方もなんだかちょっと凄みのある言い方だったので、ちょっと怖かったです。
聞いて不安を覚えたのと、本当かな?というのと半信半疑な感じでした。

ちなみに4日目は、午前中に、所長とお話をする機会があり、「どうですか?」と聞かれました。
なので素直に、「典型例のようだが、最初は頭が痛かったけど、今は大丈夫」ということを伝えたら、「不思議だよね」というようなことを言っていただきました。
「内観は深まってきましたか?」とも聞かれました。その時には、「よく分かりません」と素直に聞かれ、でもうずくまってたのに座れるようになったということは報告しました。
まあ、この時は全然深まっていませんでしたね。(笑)

この時間に、テーマについて、「嘘と盗み」「養育費」について取り組むように示唆されます。
なので、5日目の途中から「嘘と盗み」のテーマに突入することになります。このテーマは私にとっては難しかったと同時に、一気に内観が深まるきっかけになりました。

そして、4日目には、夜の時間がまったく意味が変わるものになりました。

3日目までは、夜、多少眠れないなあ〜という時間はあったにせよ、やることもないし、暗いし、なんとなく1時間くらいで寝てたんです。

でも4日目からは、信じられないほど眠れなくなりました。
何度、時計を見たことか・・・
4日目までで、母・父・祖母に対する自分について内観を続けていたので、ちょっとずつちょっとずつ「深く」なってきていたんでしょうね、結構考えることがたくさんあって、夜も結構思い出を巡らせていました。

おそらく、この夜の時間が自分にとって思索を深める時間だったと思います。
昼間以上に静寂な、音や光も含めたほとんどの情報が遮断された状態で、深く深く、本当に深く、思いを巡らせました。

<5・6日目>
最初を思えばびっくりするほど、朝から集中して内観を始められた5日目。
環境に慣れるということなんでしょうね。
しっかり座って、時間に追われることもなく内観を続けていました。

不思議なことに夜はあまり寝ていなかったはずなのに、眠気とかも全然なく、頭もすっきりしていました。思考も整理されていました。

5日目の途中から、「嘘と盗み」のテーマに入ります。
「ただ今の時間は、嘘と盗みについて、〇~〇才の自分を調べました。」
「嘘については・・・・盗みについては・・・」
という感じです。

嘘についてはまあ、思い浮かぶことはいろいろあるんですが、「盗み」が最初難しく、「思い当たることはない」というような報告を続けていました。
「思い当たることはありませんでした」という報告もOKです。
例えば母に対しても、「してお返ししたことは、思い当たりませんでした」という報告はよくありましたし、私としては、内観の最後のほうには、「自分が人に何かをして返したことなんで、ほんの数えるほどしかない」ということに気づかされました。

盗みについては、最初は全部「思い当たることはない」だったんです。
だって、窃盗とかないし、実は結構真面目なので、カンニングとかもないし、(盗み?みんなあるものなの?)というような感覚でした。
食事の時間に流れた参考テープの放送を聞いても、死刑囚の方とか・犯罪者とかのものもありましたし、昭和のテープもあるのでキセル乗車とか、万引きみたいな報告ばかりで、(私にはないかもなあ〜)と思っていました。
何回目かの報告の時に、面接をしてくださっていた所長に、「盗みは難しいですか?」と聞かれて「みなさん、あるものなのですか?私には思い当たるものがありません」と答えました。

そしたら、
「人は、誰しも嘘と盗みをせずに生きることはできないのですよ」
と言われました。
「犯罪とか、そういうことではなく、自分は他者に対して盗みをしていないか、よく調べてみてください」
ということで。
その際に、過去の事例として修道女の例などを挙げていただきました。

まだまだ内観の浅かった頃なので、「みんなちゃんとできるのに、できない自分が不甲斐ない・・・なんで・・」と、謎の悔し涙を流したのも覚えています(笑)

内観は、期間中、おそらく、著しく自己肯定感が下がります。
そりゃあ、自分がいかに人に迷惑をかけてきたのか、ということを振り返るので、当たり前だと思うのですが、5〜6日目が私にとっては自己肯定感がMAXに低かったので、こういう捉え方をしていたんでしょうね。

今だからわかりますが、内観でやることは、人と比べてどう、とかではないんですけどね。みんながうまく内観できているのに、自分はできない、とかは一切考える必要はないんです。

まあでも、それを言っていただいたので、一生懸命一生懸命考えました。
で、「観えた」と最初に感じたのがこの時です。

私にとって「盗み」って、本当に”日常的に当たり前に行なっている”ことだということがわかりました。
大学生の時に「私たちの話す言葉は、常に誰かのコピーアンドペーストのつぎはぎなの」と当時の言語学の先生に言われたことを急に思い出したんです。
その先生は、だから言語習得においては、シャドーイングが重要である、という意味でおっしゃっていたのですが、そこから考えると、私の話す言葉・書く文章・全ての行動は、常に誰かの真似をしているだけにすぎない、ということが、よくよく分かったんです。
例えば、教員時代の授業は全て、学生時代の諸先生方のパクリにすぎませんし、研修や授業見学などで見た・聞いたものは全て吸収(=盗んで)してきました。
すべて生き方やあり方も、ぜんぶ同じだ、と。

突然なんか、「わかった」「観えた」んですよね。
この認知の転換が、結構神秘的な感覚をもたらします。

ちなみに、5日目・6日目の夜は、4日目以上に眠れませんでした。
いろいろと考えていたのを思い出します。
夜に涙を流すことも多くありました。

6日目の最後の面接は「養育費」というテーマでやっていただいたのですが、それも影響したと思います。両親や祖父母など育ててくれた環境を思い出し、両親の愛情に考えが及び、その中で、こんなに時間も労力もお金もかけてもらったのに、何も成せていない自分というものが情けなくなりました。
でも、それを誰かに非難されたり、もちろん親から文句を言われたことってないんですよね。それこそが親の愛なのだ、ということを感じました。

<7日目>
最終日の面接は、3回だけでした。
最後に、母について戻り、0歳から9歳までの期間を3回に分けて、もう一度内観しました。
1日目や2日目にも母について取り組んだにもかかわらず、比べものにならないくらい深くなったのにあとから気づきました。
これは、体験すればわかるのですが、言語化するのが難しいことの一つです。


1週間を終えて考えたこと

この方法で行う1週間の内観の効果は、いろいろあると思うのですが、少なくともモノの見方みたいなのが変わったり、両親や周りの環境に対して感謝の気持ちを持てるようになったり、体調が整ったりするのは、理屈で考えても、まあ理解できるし、起こりうると思います。

規則正しく美味しい食事を食べて、自分と向き合って過ごせば、まあ自律神経も整うので、心も体も元気になるでしょうし、振り返り方としても、他者に対する感謝の気持ちを持てるようになるとも思います。
もちろん精神疾患を抱えていたり、虐待などの経験があったりする場合はすんなりとはいかないでしょうが、でもここまで生きてきた中で、誰しもが誰かに支えられて生きているはずなので、そりゃあ、ね。

だから心理療法として、一定の効果を発揮するのも頷けますし、その辺までは、(まあそうだよなあ・・・)くらいの感想です。

でもよく理解できないことがいくつかあって

  • 多くの人が頭痛などの身体的不調を訴えるのはなぜなのか

  • 多くの人が夢を見るのはなぜなのか

などです。

私も頭痛がありました。これが、屏風の中で過ごすという閉塞感(心理的要因)から来るものなのか、たとえばカフェイン断ちの影響ような身体的な要因から来るものなのか、非常に興味深いです。
私の場合は日に何杯も摂取するカフェインを一切摂取しないことによるものなのという可能性も多いにあります。
そして、その期間がなぜ4日程度なのか、ということも興味深いです。

参考テープの中でも夢を見るという共通の体験があった人が多くいました。
実際に私も見たし、あとからそう思い込んでいるだけのような気もしますが、夢を見た後に内観が深まった!という体験をする人が多くいました。
夢を見るという、この間の脳の動きはどういう状態なのかも気になります。

頭や体が軽くなるし、ハッと「観える」体験にはちょっとスピリチュアルな感じがありました。「うまく説明できない」んですよね。

あとは、「奇跡の治癒ストーリー」の参考テープを聞いたけど、それが本当に内観の効果なのか?という点も気になります。
つまり、どれが「内観すること」の効果なのか?という点ですね。
だって本来なら内観は、暗闇(洞窟など)で断食をしながらやるものらしいんです。
おそらく一切の情報を排除するのだと思います。
※私がお邪魔したところでは、1回目の内観体験者には断食内観は断っているような感じでした。あくまで「深まってきた」人(いわば内観上級者)向けのような説明がテープでありました。

内観について、これまでも多くの研究がされていきているみたいなので、少し勉強してみようかな、と思っています。

「なにがおきていたんだろう、わたしに」という純粋な興味ですね。


内観後の生活(私の場合)

最終日に最後所長とお話をさせていただき、記念写真を撮って、車で氏家の駅まで送っていただき、帰りました。
終わってみればあっという間かな。
結構あっけない1週間だったように思います。
達成感もあると思うのですが、清々しい気持ちでした。

氏家からは宇都宮まで帰り、東京まで帰りましたが、2.5時間くらいまでの帰路は、放置していたメールやLINEなどの返信対応に追われました。
帰ってからも強制的にPCに縛り付けられることになり、せっかくデジタルデトックスしたのに・・・・と思いながら、その後、貪るようにSNSを見ていた自分もまた浅ましく、まあ、ある意味愛おしく思います(笑)

ただ、その夜はやっぱり全然眠れなくて、一睡もせずに朝を迎えました。
25時くらいにはスマホを手放しベットに横たわったんですが、頭の中は相変わらずぐるぐる。
で、涙がたくさんでました(笑)
次の日は予定を何も入れずにフリーにしておいてよかった〜と思いました。

内観には、今回わたしがやった「集中内観」と「日常内観」があるようで、これからは「日常内観」を続けていく・・・のかな。
続けられるのかはわかりません。

あと、また集中内観したいか?と言われると、う〜ん。微妙です(笑)
また1日目からの状態からのスタートなのかな、頭とか痛くなるのかな、とか。
たぶん間をあけたらそうなると思うので、余計にハードル上がります。
最初の4日間は頭痛とか、マインドとか、結構きつかったんですよね。

でも、もしたぶん自分に必要なタイミングが来たら、”そのとき”は自然にわかるような気がするので、また足が向くように思います。
まったく根拠はありません(笑)

現実的に、1週間、まったく外とシャットアウトして取り組むので、普通に仕事をしていると中々チャレンジできないと思います。
この辺が、長く取り組まれていて方法論も確立しているし、一定の効果も実証されているのに、一般的な認知度がとても低いことのいちばんの要因に思います。
だって「体験してみないと」「やってみないと」わからないですよね。

でも1週間ないとダメなんだよなあ〜というのか実際に感じた感想で、でもじゃあなぜ1週間ないとだめなのか、なぜ最初の4日間が必要なのかということをもう少し知りたいですね。

長くなりましたが、振り返ってみて、内観中にお世話になった施設の方に、改めて感謝の気持ちを持ちました。


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