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孤独感
ずっと自分は1人が苦にならない性格だと思っていた。
子供の時は家に誰もいないと落ち着いた気分になれたし、そういう性格だと考えていた。
高校なんかでも休み時間に黙って本を読んでいることが多かったし、大学の学園祭などウェイウェイした環境に置かれると居場所がなくなって、でも部活が屋台を出しており店番のシフトがあったので帰るわけにもいかず、結局、人のいない空き教室で無駄に時間つぶしをしていた。
ところがそんな性格じゃなかったわけですね。
いざ一人暮らしをし始めると、部屋で一人でいるのが堪らなく寂しい。
車が通る音、太陽の光、空調の音、全部が孤独感を増幅させる。
ただ、無音の環境に長く置かれるとそれはそれで発狂するそうですね。
どうしたらいいのか分からない。今は心霊動画を流して神経に刺激を与えて文章を書いている。
気紛れでマッチングアプリを始めてみた。プロフィールを書こうとすると何にも書けない。名前を書いたら書くことがない。中身のない人間。叩いたら良い音がしそうですね。嘘です。そんなことはない。内臓があるから。変なところで生々しい。
人間は思い通りに生きられないし、隣の芝は常に青い。どんな時でも他人が幸福に見えるし、自分が不幸に見える。不安はいつだって大きいし、幸福はゼロ。神は死んでしまったし、人間に失格した。だからと言って吾輩は猫になれない。
結局そんなものなのだろう。
孤独感にしたってそうだ。
この感覚が一生続くかもしれないし、続かないかもしれない。
続かない可能性に希望を見出すのは難しくないが、その後は別のことに苦しみを感じるだろう。
老成した落ち着きや、大人びた行動も手に入れることはできない。
精神年齢が幼いまま諦念にまみれて、もうやり直しは出来ないことを実感するしかない。そして苦しみながら腰が曲がり、皺くちゃになって死んでいくのだ。
しかし、でも、それでも、という思いを捨て去ることができない。
所詮生きることは苦しいから、とそれで何もかもを諦められるほど悟った人間にはなれない。
諦めるというのは苦しみに対する対応の一つであり、苦しんでいる自分を救済しようとする試みであるから、自分が救われない諦めには何の意味もない。
孤独という一点に関して考えると要は1人でいるのがツラいという、単にそれだけの話であるから、仕事以外で何かしら外部と接点を持てれば良いはずだと考えた。だからマッチングアプリに数万も課金したのだけど、二十数年生きても中身空っぽの自分を見つめることしかできなかった。
文章がぐちゃぐちゃですね。
何を書きたかったのか分からないし、そもそも書きたいことがあったのか分からない。何かを書きたかったから何かを書いてみたというだけかもしれない。
それでも最後まで読んでくださった方がいるのなら、本当にありがとうございます。
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