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子供のためにやってることなんてひとつもない

例えば、子供に歯磨きをさせようとするのは、歯磨きが正しいからじゃない。

歯磨きをしなかったら虫歯になるんじゃないか。
今日歯磨きをしなかったら明日もしないんじゃないか。
歯磨きをさせない自分は子供の世話を放置する悪い親になっちゃうんじゃないか。

って、自分の中に不安があるからだ。

自分が不安になっているのに、それを認めないと、子供に反発された時に「歯磨きしないと虫歯になるよ。」「あなたのためよ。」と言ってしまう。歯磨きのあと「ほら、スッキリしたでしょ」と言ってしまう。

子供に任せて、子供がやるまで待てというわけじゃない。無理やりやるときもある。でもその時、自分の中の不安を認めていれば、「私の不安のために、歯磨きさせてくれてありがとう」としか思わない。

私が嫌だと思うことをされたら、私はそれをされると嫌だと言う。私が嬉しいことなら嬉しいと言う。子供がやることに駄目なことなんてひとつもない。でも、自分の気持ちをごまかす必要もない。

私は、子供が泣くと私が嫌だから世話をする。
子供のためにやってることなんてひとつもない。

と、子供の鼻水を鼻吸い器で吸いながら思った。