励ましの言葉について考えたこと

励ましの言葉というのは、多分ない。
あるのは、励まされた言葉だけだと思う。

例えば、頑張りたいと思ってるときに言われる「頑張れ」は励ましの言葉になるし、頑張りたくないと思ってるときの「頑張るな」は励ましの言葉になる。
その人が今思ってることに沿った言葉、励まされた言葉が、結果的に励ましの言葉になるのだと思う。

うつ病の人に「頑張れ」と言ってはいけないと言われるけど、これもきっと絶対ではない。うつ病の人は、本心で頑張りたくないと思ってる場合が多いから、結果的には「頑張れ」と言わないほうが無難だということだろう。本心で頑張りたいと思ってるときなら言っていいんじゃないかと思う。

本心で、と書いたのは、頭では頑張りたいと思っていても、本心では頑張りたくないと思ってることがあるからだ。このとき、頭で考えているのは「頑張りたい」ではなく、「頑張らなきゃいけない」だと思う。けれど、本心に気づかないと、自分は「頑張りたい」のだと信じ込んでしまっている。体は本心に従うので、その結果「頑張りたいけど、頑張れない」になってしまうのだと思う。

こういう状態で「頑張りたいけど、頑張れないんだよね…」と言う人に、「頑張れ」と言ってしまうと、その人はもっと頑張ろうとして、でもできなくて、自己嫌悪が進んでしまう。逆に、「頑張んなくていいんだよ」と言ってしまうと、頑張りたいという(確かにそうだと思いこんでいる)気持ちを否定されて落ち込んでしまう。

じゃあ何も言えないじゃんなんだけど、やっぱりなんにも言わなくていいんだと思う。その人の本心がどっちかなんて、わからないから。

自分の本心に気づくことができれば、その人は頑張ったり頑張らなかったりを自分で選ぶことができる。だから、本心に気付けるまで、話を聞くこと。その本心を見えなくしていたり、本心に従わせなくさせる思考に気付けるまで、話を聞くこと。

たまたま相手の本心に合っていて、相手が励ましと受け取ってくれたらありがたいけど、相手の本心に合っていなかったら追い詰めてしまうことになる。励ましの言葉をかけるというのは、そういう不確かなことを迂闊にもやってしまうということだから、褒められたことではない。

励まされた人は、励ましの言葉を励ましだと受け取れないことで悩んでしまうかもしれないけど、それは当たり前のことだから安心してほしい。