宗教間対話がしてみたい

学校に通う子どもたちが
宗教について垣根なく話す
お前の宗教ではこうなの?
うちではこうだよ。と。

そのためにできることを考えている。

宗教二世問題で、被害者として宗教の垣根なく被害を訴える人たちがいる。
その人たちを救おうとする人もいる。
みんな、宗教の被害者をなくそうとしている
私も大賛成だ。

ただ、それは、どうやら私のやりたいことではない。
私は、新たな被害者を産まないために宗教を潰すことではなく、
宗教を被害者の生まれない場所にしたい。

そのためのいろんな方法があるけど、私は、宗教間対話がしたいと思っている。

“宗教は『人間の幸福』のためにある
教義は異なっても
全人類のためには必ず協調できる”

という、この言葉は本当だと思う。

お互いの教義が違くとも
話し合える風土を作りたい。

そのような活動をしてくれと伝えたこともあった。
でも、私がやればいいのだ。
というか、私がやりたいのだから私しかいないのだ。

賛同してくれる人がいるのかわからない
でも、考えるとわくわくしている
すごく心が軽い。

だからこの心が軽いうちに文章にしておきたいと思った。

やっぱり人も集まらなくて全然相手にされなくて
失敗に終わって落ち込んでも
この今の気持ちを思い出したい。

アンケートを始めたときも
新しい仕事についたときも
この明るい気持ちはあった。

私は知っている。
これを希望というのだと。

希望が現実に負けそうなときの立ち向かい方を
今は知っている。

今度はうまく行ってほしい。
でもうまく行かなくても大丈夫。
また希望が湧いてくると知っているから。

具体的な方法はまだ考えてない。

「宗教なんてみんな同じだからなくそうぜ」を否定しない。多分ゴールは同じだから。でも、私は「宗教なんてみんな同じだから語ろうぜ」から始めたい。

という思いつき。