見出し画像

【私の十界論】天界……「欲望が満たされた喜び」

中学3年生の夏休み、進路調査の紙を書いていて、第一希望と第二希望で悩んでいた。

どちらも、その時の学力なら難しくないところだった。A高校は進学校で、やりたい部活があった。B高校はよく知らないけど制服がかわいい学校だった。どちらを第一希望にするかで悩んでいた。

母に相談すると「A高校がいいよ」と言われた。それが当たり前だと言わんばかりだった。

普通に考えて、制服がかわいいという理由で学校を選ぶなんて危険だろう。でも、私はこのとき自分でも驚くくらいショックを受けていた。「かわいい制服を着たい」という欲を、とても恥ずかしくていけないものだと思った。

その後私はA高校に進学し、やりたかった部活もできて3年間楽しく過ごすことができた。高校を選んだことに悔いはない。

でも、あのときの気持ちはなかなか忘れられなかった。私生活でも、可愛い服を着るのは恥ずかしかった。シンプルな服を着ていると安心した。

そんな自分と向き合うことになったのは、やはり精神科に通院するようになってからだった。

「可愛い制服の高校に行きたい」と言った時の気持ちを思い出して、自分にこう言った。「可愛い制服すてきだね。きっとあなたに似合うと思う。そう思うことは何も悪くないよ。」それを聞いたらなんだか嬉しくなって、泣いた。

それからは、あまり服にこだわらなくなった。可愛い服も着るし、シンプルな服も着る。着たいと思うものを着られるようになった。

欲は満たせば一瞬で消えてしまう。だからといって、無駄な欲はない。出てきた欲を我慢させると、それはずっと解消されずに残ってしまう。

それが世間的に良くない欲でも、すぐには叶わない欲だとしても、自分の中から出てきた欲を喜んで受け入れてあげれば、満たされるのだと思う。

人生を楽しむには喜びは欠かせないし、たくさんあったほうがいい。喜びを増やすために、まずは欲を持つことを認めてあげることだと思う。

ちょっと餓鬼界の話っぽくなってしまった。でも、餓鬼界と天界は紙一重だと思うので、これでもいっか。

仏法では、天界を生命の境涯の一つとして位置づけています。努力の結果、欲望が満たされた時に感じる喜びの境涯です。大聖人は「喜ぶは天」と仰せです。
欲望といっても、睡眠欲や食欲などの本能的欲望、新しい車や家が欲しいというような物質的欲望、社会で地位や名誉を得たいという社会的欲望、未知の世界を知ったり、新たな芸術を創造したいというような精神的欲望などがあります。それらの欲望が満たされ、喜びに浸っている境地が天界です。
しかし、天界の喜びは永続的なものではありません。時の経過とともに薄らぎ、消えてしまいます。ですから天界は、目指すべき真実の幸福境涯とはいえないのです。

創価学会HP
https://www.sokanet.jp/kyougakunyuumon/kyougakunyuumon/jyukkairon02/