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【私の十界論】地獄界…「何をしていても苦しい、消えたい」

たんだんだんだん自分を嫌いになって、気づいたときにはどうしようもなくなっていました。
朝起きると涙が出て、会社に行っても涙が止まらず、毎日泣いていました。頭の中はごめんなさい」でいっぱいでした。「うまくできなくてごめんなさい」「会社の荷物でごめんなさい」「卑怯で卑しくてバカで……。」上司に、休職して病院に行こうと言ってもらい、精神科の病院に行きました。

初診のとき、一通りの話を聞いた先生が言いました。「自分のことが好きですか?」私は「嫌いです」と答えました。先生は、自己否定がどれほど怖いものか、病気を引き起こすかを説明してくれました。
そして、「自分に大好きだよと言ってみましょう。」「それが響かないときは、まずは自分に謝りましょう」と言いました。私は「大好きだよ」と言っても何も感じませんでした。でも「ごめんね、今まで無視してごめんね」と謝ると、すごくホッとする感じがあって、涙が出てきました。

それから2年ほどかけて、カウンセリングやグループ療法を受けました。自分の考えのくせや対処法を知り、前向きに生きられるようになりました。

それでもまた、同じように苦しむことがありました。それは出産の時でした。
破水してからなかなか生まれなくて、微弱陣痛が2日続いたあと、私は「もう、頑張れません」といって緊急帝王切開になりました。
最後に、自分で諦めてしまったことが許せず、ずっと自分を責めました。「こんな自分が母親でごめんなさい」「私じゃない強くて優しい人のところに生まれていれば幸せになれたのに」「私のせいで」「私がいないほうがこの子と家族のためだ」と、毎日泣いていました。このときは、回復するまで3ヶ月くらいかかりました。

今も、そういう気持ちになることはあります。でも、そのたびに自分と向き合うことで、回復の時間がだんだん短くなっています。

地獄界は、苦しみに縛られた最低の境涯です。「地」は最も底を意味し、「獄」は拘束され、縛られた不自由さを表します。
「地獄おそるべし。炎をもって家とす」(1439㌻)といわれるように、地獄界とは、自身を取り巻く世界全体を、炎のように自身に苦しみを与える世界と感じる境涯といえます。
また、大聖人は、「観心本尊抄」で「瞋るは地獄」と仰せです。「瞋り」とは、思い通りにいかない自分自身や、苦しみを感じさせる周りの世界に対して抱く、やり場のない恨みの心です。苦の世界に囚われ、どうすることもできない生命のうめきが瞋りです。

創価学会HP
https://www.sokanet.jp/kyougakunyuumon/kyougakunyuumon/jyukkairon01/