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【私の十界論】菩薩界…「人のために行動しよう」

私は母とは全然違う性格であまり気が合わないのですが、私が母の生き方から学んだことで、自分でも気に入っている生き方があります。それは「人に渡したものはあげたものと思う」ということです。

貸してほしいと言われたものでも、渡した時点であげたものと思う。帰ってきたらありがとう。帰ってこなくても気にしない。ものだけでなく、お金でも、親切の気持ちでも、愛でも、なんでもです。

これはきっと菩薩の気持ちに近いのかなと思います。自分が満足してるからひとにもあげる。あげたから相手に何かを求めることもない。

先日、地域で子供向けイベントを主催しました。主催といっても一人でやったのでとても小さい規模のものです。

一人運営だったので、結構グダグダで途中で帰ってしまう親子もいたのですが、私がやりたいことをやれて、子どもたちも集まって喜んでくれて、とても満足しました。
もしこれで後から親御さんに文句を言われていても別にいいやと思いました。褒められたくてやったものではなかったからです。もちろん反省はして、次回やるときは改善しようと思いますが。

仏法に、「乞眼のバラモン」という話があります。
菩薩行をしていた舎利弗のところに、眼のないバラモンがやってきて「眼をください」といいました。舎利弗は自分の眼をあげましたが、バラモンはその眼を臭いと言って捨てて足で踏みつぶしました。舎利弗はこいつだけは救えないと思って菩薩行をやめてしまいました。というお話です。

舎利弗が、「相手が私の目をどう扱おうと私の価値は変わらない」と思えていたら、菩薩行を続けていたと思います。菩薩界は、人のために行動する心ですが、根本に自己否定があると相手の反応に振り回されてしまうのだと思いました。

菩薩とは、仏の覚りを得ようとして不断の努力をする衆生という意味です。二乗が仏を師匠としていても、自分たちは仏の境涯には至れないとしていたのに対し、菩薩は、師匠である仏の境涯に到達しようと目指していきます。
また、仏の教えを人々に伝え広めて人々を救済しようとします。
すなわち、菩薩の境涯の特徴は、仏界という最高の境涯を求めていく「求道」とともに、自らが仏道修行の途上で得た利益を、他者に対しても分かち与えていく「利他」の実践があることです。
この菩薩界の境涯の根本は「慈悲」です。大聖人は、「観心本尊抄」で「無顧の悪人もなお妻子を慈愛す。菩薩界の一分なり」(241㌻)と仰せです。他人を顧みることのない悪人ですら自分の妻子を慈愛するように、生命には本来、他者を慈しむ心が具わっています。この慈悲の心を万人に向け、生き方の根本にすえるのが菩薩界です。

創価学会HP
https://www.sokanet.jp/kyougakunyuumon/kyougakunyuumon/jyukkairon03/