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【私の十界論】修羅界…「人より上にいたい」

高校生のとき、初めてのバイト先はラーメン屋でした。厳しくも見放さずに教えてくれる店長や、優しい先輩に囲まれて、怒られながらも成長する自分に満足しながら楽しく働いていました。

一年くらいして入ってきたAさんは、私のひとつ上ですが、とても素直で可愛い女性でした。最初は失敗も多かったり、店長にもタメ口でヒヤヒヤして見ていましたが、周りの人に頼るのが上手で、数ヶ月後には仕事も順調に。タメ口もAさんの良さとして受け入れられるようになりました。

私は焦りました。一年働いた自分よりも、この人は仕事もできて、みんなに受け入れられて、人気者になっている。最初は私が教えてあげる立場だったのに、仕事も私より信頼されている。

私はAさんを避けるようになりました。横に並ぶと、劣っている自分を嫌でも見なければいけません。それが苦しかった。
なるべく顔を合わさないようにし、業務上必要なこと以外は口を利かないようにしました。話しかけられても、返事だけして会話を続けようとせず逃げていました。

相手からすれば、理由もわからず突然無視されているのです。傷ついたと思います。当然、周りもこの様子に気づいていました。

ある時、店長に呼び出されると、そこにAさんもいました。「お前、Aに言わなきゃいけないことあるだろ。二人で話してこい」と店長は言いました。
そして、事務所で二人になると、Aさんが口を開きました。「私、さくたろうさんになにかしちゃったかな?わからなくて、ごめんね」涙を流しながら、そう言ってくれました。

私はぐわぁーっと体が熱くなりました。恥ずかしくて、悔しくて、申し訳なくて。この人は悪くなくて、ただ私が嫉妬してただけだったのに。

「ごめんなさい」というと、Aさんは、「私もごめんね」と言って笑ってくれました。それから私はAさんとも普通に話すようになりました。

私がなっていたのが修羅界です。
自分よりも下だと思っている間は優しくできるけど、自分より上になろうとするのが許せない。嫉妬の心です。

そして、このときは収まったものの、私の中から消えたわけではありません。その後、新社会人になってから、私は同じように同期の女性に対して修羅の気持ちに悩まされました。過去の経験があったので、相手を避けたり傷つけることはなく、そんな気持ちを持つ自分を責めました。そして心のバランスを崩し会社を辞めることになりました。

私はここでようやく、修羅界の自分と向き合うことになりました。嫉妬に流されて相手を傷つけても、嫉妬の心を持つ自分を責めても、修羅界は救われません。

修羅界を見つめると、そこには恐怖がありました。「私がここにいる意味が奪われてしまう、怖い、不安だ」

もちろん今現在も、この修羅界は私の中にあります。その心が出てきたら、「怖いんだね、不安だね、大丈夫だよ」と、安心するまで寄り添うようにしています。

修羅とは、もともとは阿修羅といい、争いを好む古代インドの神の名です。自分と他者を比較し、常に他者に勝ろうとする「勝他の念」を強くもっているのが修羅界の特徴です。他人と自分を比べて、自分が優れて他人が劣っていると思う場合は、慢心を起こして他を軽んじます。そして、他者の方が優れていると思う場合でも、他者を尊敬する心を起こすことができません。また、本当に自分よりも強いものと出会ったときには、卑屈になって諂うものです。自分をいかにも優れたものに見せようと虚像をつくるために、表面上は人格者や善人をよそおい、謙虚なそぶりすら見せることもありますが、内面では自分より優れたものに対する妬みと悔しさに満ちています。このように内面と外面が異なり、心に裏表があるのも修羅界の特徴です。

創価学会HP
https://www.sokanet.jp/kyougakunyuumon/kyougakunyuumon/jyukkairon01/