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【私の十界論】縁覚界…「川は留まらない。人生ってそういうこと」

私は音楽が好きだ。聞くのも歌うのも演奏するのも好きだ。

とくに好きなのはパーカッション。叩いて音がなるものはすべて楽器になってしまう。

中学3年生の夏、高校のオープンキャンパスで見た演奏は、そのへんにあるバケツやモップなどを使っていた。それをなんと呼べばいいかわからなかったけど、とても楽しくて印象に残った。

誰かにとってつまらないものでも、それを楽しむ心の人にとっては素晴らしいものになる。物事に絶対はなくて、いろんな側面があると教えてくれたのは音楽だった。

ちなみに、仏法ではこのことをこんな風に表現していると後に知った。

餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり

曽谷入道殿御返事


縁覚界は、さまざまなものごとを縁として、独力で仏法の部分的な覚りを得た境涯です。独覚ともいいます。
声聞界と縁覚界をまとめて「二乗」と呼びます。
二乗が得た覚りは、仏の覚りから見れば、あくまでも部分的なものであり、完全なものではありません。しかし、二乗はその低い覚りに安住し、仏の真実の覚りを求めようとしません。師匠である仏の境涯の偉大さは認めていても、自分たちはそこまで到達できるとは考えず、自らの低い覚りにとどまってしまうのです。
また、二乗は自らの覚りのみにとらわれ、他人を救おうとしないエゴイズムに陥っています。このように、「自分中心」の心があるところに二乗の限界があります。

創価学会HP
https://www.sokanet.jp/kyougakunyuumon/kyougakunyuumon/jyukkairon03/