ガラスの天井、薄張りの床

客観性の落とし穴、読みました。
最近、属人的なことが大切になっていくんじゃないかと肌感では感じつつ、
仕事では数字、エビデンス、客観的を求められている苦しみを抱いていたので、酔っ払って気づいたら買ってました。

下記、感想です。

大前提で客観的は大切であることは否定せず、
なぜこんなに客観視が重要になったのかを紐解く。
その上で、主観も大切だよね、という内容。

全体的な感想は「確かにそうだな」という感じ。
誰が読んでも
目から鱗だ、とか、全然違う!
みたいなことはあまりないと思います。

そしてこの主観に立ち返る、他者の個人的な経験を尊重するという
一見簡単そうな考えの難しさも感じた。

いろんな要因があると思うけど、
基本みんな大多数に入りたいと思って生きている。
もしくは入っている、自覚も特になくマジョリティに所属している
その大多数の感覚、共有されているいわゆる”普通”の感覚で
ずっと過ごしているなら、みんなと同じが一番大事。

個人の経験、感覚、人と違う部分を見たり見せたりしないのかもしれない。
あとは自分の感覚が社会的に一般とされているのであれば、
転落を恐れずにいられるのかも。

もしくはSNSと現実がほぼリンクしている世界なら、
ふとした「AってBじゃない?」という一個人のただのつぶやきに
批判とか証拠を求めるコメントがついたりすることは、
もう匿名ではなく、ほぼ隣人に攻撃されている感覚になるのかも。


大多数、社会的価値、市場、規則…

大事だし、必要なものだけど、
自分が社会的にいつ転落するかわからないなーと
考えているからか、
割合とか平均とか一定の数値で何かを区切ることのナンセンスさが身にしみる。

ガラスの天井の上にいる人の、
床のガラスもまた薄張りで出来ているんだと感じる。


きっと劇場、レンタルなどの代金になります。 話題作とかよりもちょっとニッチなあんまり見る人が多くなさそうな作品のレビューをネタバレに気をつけて書き続けられたらいいな、なんて。