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㉗好きなウマ娘を語るだけ

タイトルの通りです。
早速いきましょう




エアグルーヴ

SSRサポートカード「理想へ向かう青嵐」

二つ名:女帝
実馬競走成績:19戦9勝
主な勝ち鞍
・第57回オークス(96年)
・第116回天皇賞秋(97年)
タイトル
・JRA賞年度代表馬(97年)
・JRA賞最優秀5歳以上牝馬(97年)

偉大な功績を持つ母(実馬母は83年オークス馬ダイナカール)を理想として憧れ、理想に恥じないようレースだけでなく後輩の指導を行ったりトレセン学園の副会長として盟友シンボリルドルフとともにウマ娘のために尽力している

趣味は園芸、ストレス解消法は掃除。


良い女過ぎない?
強くてかっこよくてなおかつ可憐で美しい
実馬も競走馬としても強いし、繫殖牝馬しても超優秀。
その血はルーラーシップやアドマイヤグルーヴ、キセキやドゥラメンテ、タイトルホルダーやリバティアイランドにドゥレッツァ等と脈々と受け継がれてる

『リラックスしたい時はショパンの曲をCDで聴く』というキャラ設定があるけど、最後の産駒の名前がショパン。その出産後の内出血で亡くなった、というのが元ネタと知った時には泣いた。
悲しいけど愛おしすぎる。

別衣装もいいね…






シンボリルドルフ

SSRサポートカード「絶対皇帝」

二つ名:皇帝
実馬競走成績:16戦13勝
主な勝ち鞍
1984年
・第44回皐月賞
・第51回東京優駿[日本ダービー]
・第45回菊花賞
・第29回有馬記念
1985年
・第91回天皇賞春
・第5回ジャパンカップ
・第30回有馬記念
タイトル
・1984年クラシック三冠
・優駿賞年度代表馬(84年・85年)
・優駿賞最優秀4歳牡馬(84年)
・優駿賞最優秀5歳以上牡馬(85年)
・JRA顕彰馬選出(87年)

ウマ娘レースの名門「シンボリ家」の出身。
7冠を達成する圧倒的なレースでの実力を持ち、トレセン学園生徒会長を務め政治力にも長けている。
「全てのウマ娘が幸福になれる時代」という理想を持つ。
一般生徒から恐れ多い存在になってしまっていることや面白みのない性格と言われることから、しょうもないダジャレを言ったり自身の人形で腹話術をやったりしている


JRAのCMでは
「勝利より、たった3度の敗北を語りたくなる馬」
と言われるくらいにつんよい馬

「ルドルフに競馬を教えられた」とまで語る主戦の岡部幸雄騎手や野平調教師は、ルドルフをべた褒めするコメント(怪文書?)を多く語っている。

「ルドルフは外車も外車、それもとびきり上等の外車だ」

岡部騎手新馬戦騎乗後コメント

「競馬には絶対はない。だがシンボリルドルフには絶対がある」

1985年天皇賞・秋敗戦後野平調教師コメント

「リズム感のあるメロディーが好きだと思います」

野平調教師「ルドルフの好きそうな音楽について」

「ルドルフくん……よ」
ボクは彼の背から声をかける。
「レースだけど、気楽に行こうぜ。クリス(マッキャロン)じゃないけど、テイク・イット・イージーだぜ。
君の頭なら、この程度の英語はわかるだろう………
そうだ、気楽にだ。そうだ、そうだ、その調子だ」

岡部幸雄著「ルドルフの背」より
「Take it easy」はクリスマッキャロン(米騎手)より岡部騎手へ贈られた言葉であり、座右の銘

ボクはルドルフの体をなでた。最高級のベルベットに触れたように、
その表面はやさしかった。

「ルドルフの背」より

ルドルフの顔は大きすぎず、小さすぎず、
体全体とのバランスがとてもよい。しかも顔が引き締まって見える。
ボクはそんなわけで、ルドルフと会った時、まだ彼の背にまたがる前から「走る!」と思ったものだ。

目の表情、被毛の色については、あくまでもボクの好みである。
ルドルフみたいな鹿毛が好きだ。

「ルドルフの背」より



冷静沈着泰然自若な性格ながらも、レースに対する想いは最早狂気的。
それが良いんだよカッコいいよ。

「覚悟だ。敗北は許されないのではなく、
敗北を許さないという覚悟が成就した」

チャンピオンミーティング勝利時セリフ

「負けるのは嫌だ」では無く
「負けることなんて有り得ない」と言わんばかりの絶対的プライド


84年ジャパンカップと有馬記念を見れば、敗北を許さずキッチリとやり返すルドルフ陣営が良く分かる。
ジャパンカップにいたっては日本馬初の制覇だから、悔しさもひとしおだったろう。

有馬は逃げるカツラギエースをずっと2番手で追ってるんだよ怖いよ
じりじりと追い詰めて最終直線でグワッと追い抜いていくんだよ怖いよ








マルゼンスキー

固有衣装「フォーミュラオブルージュ」

二つ名:スーパーカー
実馬競走成績:8戦8勝
主な勝ち鞍
・第28回朝日杯3歳ステークス(76年) 現朝日杯FS
・第26回日本短波賞(77年) 現ラジオNIKKEI賞
タイトル
・優駿賞最優秀3歳牡馬(76年)
・JRA顕彰馬選出(90年)


圧倒的なポテンシャルを持ちながらも、気さくで明るく後輩の面倒見も良いお姉さん的なウマ娘。
世間一般との流行が少しずれており、“チョベリグで“ナウい”ものに目がない。本人的最新の流行はティラミスにナタデココ

父のお古を譲り受け「タッちゃん」と名付けた真っ赤なランボルギーニカウンタックを激しい運転で乗り回し、同乗者は大抵気持ち悪くなったり意識が遠のいたりと満身創痍になる。

SRサポートカード「激マブ!ドライブ♪」


圧倒的なポテンシャルがありながらも、本人はただ楽しく走りたいことを願うウマ娘。
ただ圧倒的であるが故に、マルゼンスキーが出場するレースを回避するウマ娘も現れてしまう。

楽しいレースがしたいマルゼンスキーにとって、自分が走ることで傷つき夢を諦めてしまうウマ娘がいることは、とても胸を痛めることであった。
史実では息子に当たるサクラチヨノオーのシナリオでは、上記のような理由もあり日本ダービーには出走せず、その想いをサクラチヨノオーへ託す。



マルゼンスキーは海外で受胎し、日本で生まれた「持込馬」であったが、74年当時の規定では持込馬は日本ダービーに出走できないとされていた。
主戦であった中野渡騎手はマルゼンスキーのポテンシャルを信じ、

「賞金もいらない、大外枠でいい、
他の馬に迷惑をかけないから出走させてほしい

と日本ダービー出走を訴えたエピソードがある。

ダービーの出走は叶わなかったが、色んなレースでマルゼンスキーは桁違いな才能を示し続け、77年有馬記念出走直前に故障で引退。
ウマ娘でも逃げ馬として実装されているが、あまりに才能が桁違いであったためか「逃げ馬ではない」という意見も出ている。

なんにせよ1997年に亡くなってから20年以上後に、ウマ娘となり沢山のライバルに恵まれて走ることが出来たのは、マルゼンスキーとしてこれ以上ない幸せなのではないだろうか。



てかイケイケバブリーな激マブお姉さんなのに、目がまん丸で童顔気味なの可愛すぎない?

お出かけ(河川敷・春)
ウマさんぽ(海岸)


ギャルさんぽ(ネイル)



かわいいね






メジロラモーヌ

SSRサポートカード「燦爛」

二つ名:魔性の麗人
実馬競走成績:12戦9勝
主な勝ち鞍
()内はトライアル競争
1986年
・第46回桜花賞(第20回報知杯4歳牝馬特別 現フィリーズレビュー)
・第47回優駿牝馬[オークス](第21回サンスポ4歳牝馬特別 現フローラS)
・第11回エリザベス女王杯(第4回関西TVローズS)
タイトル
・1986年牝馬完全三冠 
・優駿賞最優秀3歳牝馬(85年)
・優駿賞最優秀4歳牝馬(86年)
・JRA顕彰馬選出(87年)


”嫉妬すら追いつかない。憧れすら届かない”


史上初の牝馬三冠を成し遂げた名牝。
メジロラモーヌを表すのにこれ以上の言葉は見つからない。

彼女の総てはターフにあり、総てはレースへ捧げられる。
レースのためであるならばどんな犠牲も厭わない。
彼女の胸を焦がすのはレースのみ。


シンボリに並ぶ名門「メジロ家」の出身で「メジロの至宝」と讃えられている。

レースに対する想いやプライドの強さから、常に競争相手やトレーナー、マスコミなどにもレースへの強い感情を求める節があり、相手がそれに相応しくないと感じたら、「つまらないのね」と一蹴する厳しさを持つ。
それは誰よりもターフを、走ることを純粋に愛しているからこそ、素直で前向きな想いなのであろう。


妹はメジロアルダン
脚部不安もあってラモーヌに対してコンプレックスを抱いてしまっている。

またメジロ家の一人であるメジロドーベルは、ラモーヌと同じくティアラ路線を目指すが、周囲の視線に対し怯えてしまう節があり、実力を出し切れないことがある。

そんなメジロのウマ娘に対しラモーヌはメジロ家の一員としてではなく、レースで競うライバルとして厳しく接することも。

左:メジロラモーヌ 中央:メジロアルダン 右:メジロドーベル
2周年イベント「Leap into a New World!」より
23年クリスマスイベント「A Greaming Mejiro Gala」より

こんなんラスボスしか許されない構図じゃん
女子高生(?)が醸し出していい色気じゃないよね

正に強く、逞しく、美しい
ダイヤモンドでさえ見劣りする
至宝の名に相応しい素晴らしさだと思います



今日のところはここまで
また気が向いたときにでも


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