社会的条件反射

巷では某アイドルがデキ婚しちゃった話で持ちきりですね。

そこそこ有名なアイドルがバンドマンと、って事で賛否両論の大騒ぎになっておりますが、

多分、勢力は三つくらいに分かれてて、

●シンプルにおめでとう勢

●ふざけんじゃねえ勢

●生まれてくる子供の為にこの謝罪文はダメだろ勢

なんですけども。

僕は、知らないことには首を突っ込まない勢なので中立なんですが、もし自分の推しがバンドマンとデキ婚して、でも活動続けたいって言ったとしたらどういう気持ちになるかな〜と考えました。


ふざけんじゃねえという感情になると思います。ソロでやってるならまだしも、グループでやってるんだぞって気持ちになる気がします。

彼氏がいるとかいないとかはどうでも良くて、君がアイドルとして業界を上り詰めていくことを期待して、時間とお金と何よりも気持ちを注いで応援してきたのに、「はぁ?」という気持ちになると思います。

なので、ふざけんじゃねえよ勢の気持ちは理解できます。

一方で、謝罪文ダメでしょ勢の気持ちもよくわかります。

子どもが将来、ネットの海を眺めててこの謝罪文を見つけてしまったら。

自分の命の芽生えに対して、周囲からどんな事を言われていたのか。

それを知ってしまった人間がどんな気持ちになるか。ちょっと想像できないくらいの怖さがあります。


で、何が言いたいかというと、普通におめでと勢の気持ちが、正直ちょっとわからないんです。

本気で応援してて、めちゃくちゃ飲み込んで飲み込んで泣きながら、もしくは虚無の顔をしながら「おめでとー2人の幸せを願ってます」ってコメントしてるんだったらわかります。推しを全肯定するというのもまた、オタクの性です。その人の生き方です。

でも、ライトなファンでおめでとー言ってる人はどういう気持ちなんでしょうか。


おめでたいことだから、人がなくなったから、「おめでとうございます」「ご冥福をお祈りします」

社会に毒され過ぎて、条件反射で何の感情もなくコメントしてない?って思ってしまいます。

あの告知アンド謝罪文を読んで、湧いてくる感情は「おめでとー」なのでしょうか。

それともその「おめでとー」の中には、ものすごい深い意味が込められているのでしょうか。


まぁとはいえ僕も、社会の端っこで雨水を啜りながら生きている身なので、何の感情もない言葉をよく書きますし、よく言います。

でもここってネットじゃないですか。

ここでも社会的活動しなきゃダメなんですかね。

生き辛いなぁ、生き辛い世の中だなあと思いながら、TLを眺めています。

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