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おかみの覚書vol1 「まちにゲストハウスがあるってことは、まちを一緒に楽しもうってポーズ」


「Guesthouse(ゲストハウス)」という英語がないことを知ったのは、
世界各国のGuesthouseと名のつく宿泊施設に泊まったり働いたりして、帰国して随分あとのことだ。

確かに言われてみれば、
「ゲスト」と「ハウス」、あまりに抽象的なその二語は、
何度ひっつけても、ひっぺがしても、その形はいつもぼやけて見える。
よく考えてみれば、退屈なバラエティー番組も、当事者だけでも十分幸せな二人の結婚式にも、世界中のどこかで日夜ゲストが招かれているし
アメリカの官邸だって、犬小屋だってハウスだ。その人がハウスと思えばそれはハウスだ。

その点、「ベッド」と「朝食」とを並べた
「Bed and Breakfast(B&B)」の方がずっと明快で
フトンかベッドか、お味噌汁とご飯か、目玉焼きとトーストかは人それぞれ違えど、その場所が提供するものを、誰もがイメージしやすい。

「ゲスト」と「ハウス」、
こんな曖昧な言葉どうしを、副詞も入れずに曖昧にくっつけたのは一体どこの誰なんだ。
おかげで、「ゲストハウスとはなんぞや」を問われる時、
私はいつも、万人にとってのわかりやすい答えを小脇に抱えながら、
同時に自身のあり方を問い正されている。
時代が、文脈が、言葉の意味をどうにでも変えるから
言葉のあやに生み落とされた「ゲストハウス」は良くも悪くもどうにでもなれる。

ちなみに、この場所で定点観測しながら私が書いたり消したりしてきた
「ゲストハウス」という箱の意味は、
「旅人にまちを楽しんでもらいたい」という、まち自体の意思表示である、と思っていて、
旅人にとっては、「まちの意思を体現できる機能」ともとれる。

そんな私たちゲストハウスにできることを指折り数えてみると、車や携帯やそのほか文明の利器が、日々恐ろしい速度でその性能を高めているのをよそに、よくもまあ、時代の高速道路を逆走するような、こんな業種が生き存えているなと思う。
でもきっと、はだしで踏みしめる地面の感覚をみんなが忘れないうちは、
誰もひとしく、36.5分の熱をちょうどよくあたたかいと感じるうちは、
暮らしと旅の真ん中で、人のそばに寄り添う私たちは必要とされ続けるのではないかと、根拠はないがそんな気はしている。

その私たちの仕事のひとつとして、
このまちを生かす宿となり、ここにいる人を生かす宿であるか、たえず問い続ける必要がある。では、宿を生かすのは誰かというと、日々その空間を構成する人々にある。私は建築もまちづくりも学んでいないけれど、人と建物の相関関係は、公式なんてしらなくてもすでに体が覚えている。
ゲストさんとの間であたりさわりのない話を探したり、どのくらいの距離で接するのがいいのか、などと二の足を踏んだりもするけれど、その度にいつも誰かがポルトに現れては、
「タルトの余りがたくさんあるからお茶しない?(タルトが大量に余るという現象がそもそも謎)」とか、
「ちょっとこの猫預かってて!(どこの猫かは預けた当人すらわからない)」とか、
「今から縁側でうなぎ焼くから食べていきな!(=ポルトの縁側)」とか、
予定外の展開がいつも私のブレーキを外してくれる。
ラッキーはいつも、スケジュールの外に落ちているからこそラッキーだ。

土地、まち、人の恩恵なくしては、ポルトという箱の話はできない。
だから、あったかいご飯を作ってくれる人、乾杯を美味しくさせてくれる人、かれらに会えない1月2月は私個人的にも大変痛かった。
けれど、同時に私が、門司港や北九州の築き上げた資源にいかに依存していたか知るきっかけにもなれた。
これからは、おこがましいのは前提として、ネイティブとはちょっと違う角度から、幾通りもあるこのまちの楽しみ方の再編集をしたい。
ここで出会う人と一緒に、このまちとこの箱をどんなに楽しめるか、
砂の城を作って崩すように、ずっとずっと探っていきたい。

「ゲストハウスとはなんぞや」の答えはきっと、
「ゲストハウスは何になれるか」の答えを一緒に増やしていくこと。

とはいえ、こうして常に定点で現象を迎え続けていると、
見えてくるものに限界を感じてくる。
ゲストハウスという箱に、なれないものが唯一あるとすれば、それは旅人になることかもしれない。「ただいま」を誰かに言うことの喜びを忘れてしまうと、「おかえり」の意味がわからなくなる。時々は旅人の気持ちを思い出すために、肩書きを変えてみたくもなる。



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