見出し画像

7/6 developing 実家裏

突然地面がどよめいて目が覚めた。時計を見たらまだ8時じゃないか。いや、もう8時か。
最近は地震で毎朝目が覚める。と言っても、思い当たる震源地は一つしかないので、ニュースを見るほどでもなければアラームに脅かされることもない。
実家の裏では、長いこと売土地になっていた砂地の掘削が始まっていた。マンションが建つのかソーラーが並ぶのか、はたまた化石を探しているのか温泉を掘り当てているのか、なんの挨拶もないので知る由もない。ボーリング工事の振動で目覚めるという新しい生活様式に戸惑ったまま数日経つ。5月の長雨でしばらく作業がストップしていたようだが、ようやくの晴れ間に作業車が出てきたと思ったらすぐに梅雨入り。深い深い水溜りはなかなか水も抜けず、自然の冒涜の応報だと横目に見ていたが、夏本番を前にして、ついに本格的に工事が始まった。始まってしまった。
思えば、私が初めて補助輪なしで自転車を漕げるようになった空き地だった。ミッフィーの絵柄の自転車で、どこへでも行ける気になった瞬間だった。片目が開かない猫とおしゃべりをして、あらゆる鬼ごっこに夏休みの全てを捧げていた幼い頃、見ていた景色を、ショベルの轍はいとも簡単に塗り替えていく。この辺り一帯が新興住宅地として開発され始めたのは小学校の終わり頃だろうか。田んぼも雑木林も整地され、新しい家がたち初めた頃中学生になっていた私の遊び場はもうすでにジョイフルとかマックとかになっていた。当時は生意気な顔で、わざわざ新築の施工現場のど真ん中を突っ切っていたけれど、それは小さい頃に陣取りで遊んでいた場所そのものを理不尽に陣取られたような気がして、腹の虫がおさまらなかったからだ。さすがに、今となってはこちらが理不尽だったということは心得ている。
今でこそ最寄りの公園は壁の薄そうな賃貸アパートとなり果てているが、周辺は田んぼばかりで思う存分遊べる公園が近くになかった私の地区は、目の前の空き地が唯一無二の遊び場だった。「こんなに毎日遊んでた場所が跡形もなくなっていくのは寂しいね。」小さい頃、斜向かいの家の子と夏の夕暮れにそんな話をしたけれど、私たちが越してくるよりずっと前からある水色の家には、10ほど年が離れたお姉さんが当時は住んでいて、私の家が建つ時に、もしかしたら同じことをつぶやいたかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?