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おかみの覚書vol3.「けっきょく言葉に何ができるのだろうか」

言葉を通じて私は何を伝えたいのか。
言葉を通じてあなたは何を知りたいのか。
言葉のさきにあなたと私に何が生じるのか。
筆を取っているとふと忘れてしまいそうになるので、
まずはじめに私の心にとどめておこうと思う。

今となっては14歳の私とはもはや別の個体のようだ。自分の感情を頭ごなしに否定してくる世の中に絶望していたティーンの時代。同調圧力とか、子供騙しの綺麗事により、いたずらに奪われていく思想と自由がとにかく惜しくて、いつの間にか「みんな私を理解してくれない」から「誰にも私を理解されたくない」という密かなロックを胸にするようになった。自分の世界の窓を、自分が作った記号で継ぎ接ぎして外部からのアクセスを遮断していた。
そんな当時の私が書いたブログ記事を最近見つけて読み返していたのだけれど、痛いとか恥ずかしいとかを通りこして本当に自分が書いたのか疑うくらい意味がわからない。一体何を伝えたかったのか、今となっては全く覚えていない。

それでも、字数も表現方法にも縛られない世界では、いつだって私の作るもの、墨で、色鉛筆で、ワープロで、ときには青が毒々しいアイシングシュガーで生み出したものを、最高だと笑ってくれる人がいたことは覚えている。
彼らのおかげで、結果私は自分の世界に塞ぎ込むことなく、大人たちに喧嘩を売り買いしながらも思春期を無事終えたことを今となっては有り難く思う。
当時は気づけなかったけれど、お腹が弱くて学校に行けない人、タバコを吸いに学校に行く人、人格形成の時期に、あれでもないこれでもないと、彼らなりの防御と攻撃を繰り返していた人はたくさんいた。「誰にもわかってたまるか」この複雑な感覚を、私たちは心のどこかでは共有していた。

大人になるたびに世界は広がり、チャリで漕ぎ回れる範囲から、飛行機で行けるとこまで私の活動圏も広がった。
自分の言葉で文章を書く、何かを伝える、というところからはしばらく離れていたけれど、
今みんながこうして、射程距離の遠いところからでも届くように、刺さるようにと、表現にいっそうの趣向を凝らすようになったのも、きっとコロナの副産物だろう。
門司港に泊まりにくることを楽しみにしてくれていた方達に、コロナに一網打尽にされて会えなくなった昨年の春。お客さんの存在が、私の生きる意味そのものだったと、金属バットで頭を打たれた私は脳震盪のままひとしきりのお客さんに連絡をした。一度でもポルトに予約をしてくれた人に、今じゃなくてもいつか会いたいと必死だったし、何より私が一番に、いつもの春、いつものポルト、いつもの門司港を楽しみたかった。

お出かけはおろか外を出歩くのもはばかられていた時期、パソコンでカタカタと打った私の言葉だけがお客さんの元までトコトコと歩いてくれた。お客さんから帰ってきたメールの文面は、記号の羅列にしてはどこを切っても断面からやさしさがこぼれていて、何組かは、このゴールデンウィークに、一年越しに泊まりに来ます!と予約をくださっている。パソコンの画面を見てニヤついている私がいたら、今年のゴールデンウィークのポルトはにぎやかなしらせだ。

しかしこうして振り返ってみると、今まで私が届けた言葉は、「観光」とか「旅」とか一つのキーワードを根っこに、地盤がある程度できている関係性の中でこそ通じあえた。そしてこの言葉の先には、「ポルト」なり「門司港」といった実体がある。
けれど、伝えたい相手が、つねに共通のコンテキストの中にいるとは限らない。今日では同じ文化圏と同じ言語体系を持ってしても、分かり合えない人が無数にいる。相手の言語に訳そうと辞書を引いたとて、私が熱を込めれば込めるほど、意味のぼやけたオノマトペだけが虚しく繰り返される。
「わかってたまるか」とナイフを振り回した幼い頃、「わかってほしい」とナイフできりかかる今。いつまでたっても使いこなせない刃物で、他人の腹の奥にメスを入れる翻訳は、常に繊細で骨がいる。

私が本当に伝えたいのは
逃げたくても逃げ出せない人、
ここじゃないどこかを探す人。

つまりはこれから出会う旅人かもしれないし、
小さな田舎町で壮大なロックを胸に秘めるどこかの誰かかもしれない。
きっとその誰かを自分に重ね合わせながら自分に言い聞かせるように、
ついでに、うまいことできた世界に私自身も身を委ねるように、
今日も言葉を探してまちをゆく。まちをゆくために言葉を探す。

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