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8/11 夏が足りない

夏が足りない。圧倒的に。夕焼けが港町を覆うこの時間になるたびにいつも思う。

はまのじいちゃんたちにとってはすでに白昼かもしれないが、私にとっては8時はまだ早朝だと思いたい。チェックアウトするお客さんと店の前で話をしていると、アインシュタインみたいな髪型のじいちゃんが自転車を止めて近づいてきた。何やら話しかけてくるのだが、申し訳ないことに全く聞き取れない。このじいちゃんに始まったことじゃない。何度聞き返しても同じ日本語とは思えないほど早口で口籠もって喋るじいちゃんの話が聞き取れないことは往々にしてあって、それはアイルランドのお年寄りたちとの会話を彷彿とさせる。じいちゃんと私が互いに困り果てているのをみかねて、お客さんが聞き取って通訳してくれた。
「1万円札を換えてくれるか?」
どうやら、自動販売機でジュースが買えないので両替をして欲しかったらしい。千円札を10枚、数えて見せて渡すとまたじいちゃんはモゴモゴと喋ったが、きっと「ありがとう」と伝えたかったのは文脈から聞き取れた。

宿泊してくれていたのは、ちょうどお盆に合わせて都心から北条に帰省していた夫婦と、年頃の息子さん2人。2人ともがイヤホンをしたまま、終始携帯のゲームをしていた様子を見て、きっと味気ない田舎にきて退屈しているのだろうと、幼い頃の自分と重ね合わせていた。
ところがその逆、久しぶりの釣りや山遊びがすごく楽しかったようで、宿に戻ると、しゅんと疲れてしまったらしい。
「お父さんの地元、海も山もあって、めっちゃ楽しいやん!ってはしゃいどったんよ。ようわかっとんなあ、うちの子。俺も若い時はずっと変わらん景色に飽きて出ていったけど、でも帰ってくるとやっぱりええな思うんよね。退職したら、やっぱりこっちに帰ってこよう思とる」
お父さんは一つも抜けていない北条弁でそう話したのだった。

その夜、静まり返った20時前のはまに、洋子さんが初めて見かける男の人とやってきた。
いつも元気いっぱいの洋子さんが、今夜はいちだんと陽気にしゃべっている。どうやら早い時間から飲み歩いていたらしく、隣にいるのは、神戸から帰省してきた弟さん。20時にオープンするスナック遊に行く前に立ち寄ってくれた。洋子さんのお父さんは鹿島で長年小さい商店を営んでいる。そう、島唯一の土産物屋とかき氷屋、渡部商店だ。お父さんも飲みにいきたそうにしていたけど、「お父さんは明日も7時に店開けなあかんやろ!」とたしなめて姉弟でやってきたらしい。ちなみに渡部商店のお父さんは、鹿島の観光シーズン時には基本朝7時から島にいるので、お父さんに用事のある人は朝7時前に出発する渡船場の前で、出勤の出待ちをしているらしい。そんな様子すらも想像するだけで愛しいし、店構えも品揃えもイカしてるので、鹿島へ訪れるときは渡部商店でぜひお買い物して欲しい。
それにしても、またしてもスナック遊の開店前のお客さんである。北条のスナックが焦らず、でも遅れず、きっかりと20時に開いてくれるおかげで、開店前にはまで一杯飲んでスナックに行く人がしばしばいる。ひょんなインターバル需要に手を合わせる。

アメリカとメキシコのボーダーを毎日車で越えて仕事している人は、国境を越える瞬間、周波数が変わるように、血の巡りが変わるように、その国の文化に順応する。時間感覚とか、優先順位とか、人間関係を構築する共通認識みたいなものが全く異なる国に足を踏み入れるたび、頭の中でスイッチが切り替わるのだそう。そんな話を何かで読んだことがある。
彼らの生活事情について掘り下げた記述はなかったけれど、仮に彼らがそれぞれの国をプライベートと仕事、都市と地方、という認識チャンネルで切り替えしているとしたら、別にアメリカ大陸まで渡らなくても、私たちの日常生活でも無意識のうちに適応している文化のずれがあるかもしれない。
大学ではこんなことをちょろっと勉強したけれど、異文化コミュニケーションなんてできそうにない。
コーヒーを飲みにくる近所のじいちゃん、課題をしに来る大学生の子たち、道を聞きにくる海外からのお遍路さん、それぞれの往来とともに身に纏う空気も一緒に連れてきて、いつもボーダーを反復横跳びして、異文化を行ったり来たりしているだけのように思う。人と人が自然とつながったり、勝手にこんがらがったりしてる様子を面白がっているだけで、つなぐ力もなければほどく力もない。もしやばいときは遠慮せず警察を呼びなさいと、しばらくは治安が保たれるよってスナックのママに言われた。まだ警察のお世話になったことはない。
ただ、どこかでその空気が混ざり合って、自己と他者とのボーダーが波のようにかっさらわれていく瞬間は、この時間の流れを定点観測する人にしかわからないから、ぜひ宿泊して体感してほしい。なんでもうなづいて聞くのではなく、円滑に言葉を交わすのではなく、相手とピッタリ同じ絵を描こうと力を尽くすのがコミュニケーションだと思うのだ。あなたの絵も自分の絵も描ききれないまま1日が終わる。今日も夏が足りない。

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