記録:映画・縄文号とパクール号の航海

"縄文号とパクール号の航海"という映画の上映会が我らがルネ小平であり、市民活動の方々からのお誘いもあり参加。多少ネタバレもあります。


関野吉晴さんという、探検家であり、医者であり、武蔵美の人類学の教授を務める変わった肩書きの方が、学生たちに声をかけ、全てのものをゼロから作り、4000キロの船旅をする、というプロジェクトを追ったドキュメンタリー。

斧を作るための砂鉄から集め、斧を作り、インドネシアへ渡り(偶然にも私の卒論の調査国!!)、作った斧を使って木を切り、船を作り、帆もヤシの繊維から作り、インドネシアから石垣まで旅をするという無謀とも思える旅。船造りから航海に至るまで、モーターやエンジンなど、一切文明の利器を使わない。

結果、ひと夏で終わるはずの旅は3度目の夏を迎えることになるけれど、"まあ、少しずつでも前には進んでいるから、後退はしてないから"という関野さんの言葉がとても胸に刺さった。 時間に追われて、文明の利器に頼りまくる今の生活は便利だけど幸せなのかなあ、って、人間の生活の本質的なところをとても考えさせられた。

私たちの生活は管ばかり、電話線や水道管、電線、それらが一本でも切れるとパニックになるけど、全て自然からのもので作り上げられた船上の生活にはそれがない。そんな話を関野さんは映画中でしていた。(旅が3.11を挟んだこともあり、そのような話の流れになった)

”管だらけ”という言葉を関野さんが使ったとき、私はベッドの上で寝たきりの病人を想像した。私たちの生活も、ある意味文明にがんじがらめにされてしまった、身動きの取りにくいものなのかもしれない。それは本当に幸せなのか、という同じ問いに戻ってしまう。

答えは出せない。きっと”管”がなければ、私はこんなに素晴らしい映画に出会うことはできなかった。でも”管”があるからこそ、弊害は少なからずある。きっと”管”がある方が世界は広い。だけれど、それが幸せかどうかは人によるんだろう。


映画中、特に感動したのは、インドネシア人クルーのに子供が生まれた時、名前を関野さんにつけてもらうんだ、と言っていたことだった。そして、関野さんのファーストネームと同じ、”YOSHIHARU”という名前が付けられた。こんなにも無謀で、予定が狂い続ける旅を3度経験 "させられた"にも関わらず、関野さんへの信頼は深まっていたことを知った瞬間。

何にもなさそうな田舎に住むインドネシア人が、まだ見ぬ超先進国の日本の首都・東京からやってきた人間にそんなに信頼を持てるものなのか、という驚きと感動と。優劣をつけるわけでは決してないが、やはりインドネシアの田舎と東京では住む世界が違う。そんな異世界からやってきた人の名前を大切な子供につけるという行為は、もうそれだけで”すごいこと”だ。

関野さんが、こんなに無謀なことをしても、その先に何か絶対に意味がある、と、よくわからない自信に満ちた言葉を映画中数度目にした。観ている側には何の根拠も伝わってこなかったけれど、見終わった後、その意味が少しわかった気がする。こんなに見終わった後、感想を書きたくさせる映画ってなかなかない。考えさせてくれる映画ってなかなかない。それも1つの意味であったんだと思う。


この映画の監督の考え方も、撮り方も素晴らしく、ドキュメンタリーなのに、ひとりひとりのキャラクターの設定が明確で、誰ひとりとしてone of themみたいな曖昧な存在ではなかった。はっきりとした個性が、クルーたちの振る舞いやそれぞれの苦悩を通じて描かれていたように思う。

苦しい船旅の中、この作品を撮影・編集合わせて6、7年かけて作り上げるとは、なんてすごいことなんだろう。すごいとか、面白いとか、そんな陳腐な言葉で語ることはできない映画の魅力があったはずなのに、結局そこに集約されてしまうのは、私の語彙不足である。


小平(実家)・武蔵美(武蔵美の学生ではないけれども単位互換で受講中)・インドネシア(卒論の調査国)・旅(何よりの趣味)・文化・民俗学(自分が強い関心をもっていることであり、卒論の広いテーマ)という自分の中のキーワードとリンクするところがたくさんあって、とても親近感を勝手に感じてしまいました。

気付き・発見が多すぎてまとまらなくなってしまったけれど、とにかくとにかく、久々にエネルギーの塊みたいな人と生き方と作品に出会い、自分のやりたいことを今一度考えようと思った夜。


#映画 #縄文号とパクール号の航海